第二章 第三節 コリント前書概説12

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第二 教会の秩序 (十一章ー十五章) 1

⁋本書の前半において、実践的側面における教会の逸脱せる状態が分析批判された。しかしてそこではこの世の知恵が教会のもつべき神の知恵なる秩序感をにぶらせる力として働く事が洞察された。然れば教会がこの世の知恵に由る世俗化に打ち勝つ途はただ、教会が神の知恵なる秩序感にその全存在を浸透され尽すこと以外にない。従って本書の後半は、キリストを首とする教会の秩序を指示して、教会的実践の指導原理を与えている。この秩序は三点から解明され、第一は集会の秩序第二は賜物の秩序第三は復活の秩序となっている。然もこの展開は復活を頂点とする上昇的展開をなしている。

(1) 教会の秩序 (十一章)

⁋前半において本書は教会の実践的指導原理たるべきキリスト者の自由を強調し、個性的自由を力説したが、後半では教会のもつ連帯的秩序を力説する。即ち前半において律法的規格性を極力退け、

「此は此のごとく・彼は彼のごとし」

といったパウロが、 この部分においては

「すべて男は祈をなし・預言をなすとき・頭に物を被るは・その頭を辱(はず)かしむるなり。すべて女は云々」

と、 男女の性に従って集会における秩序感を喚起している(十一章四節以下)。 しかしてコリント教会の分争に対しても

「それは汝等のうちに是とせらるべき者の現われんために党派も必ず起るべければなり。なんじら一処に集るとき主の晩餐を食すること能わず、食する時、おのおの人に先だちて己れの晩餐を食するにより、饑(う)うる者あり、酔い飽ける者あればなり」

といい(同十八節)、 教会内に党派とか分争の存在することは、連帯意識の欠如に帰因するものなりと判断し、教会の中心的礼奠である主の晩餐の意義と内容を解明している。即ち主の晩餐の厳粛なる意味に対しては

「汝等このパンを食し、この酒杯を飲むご とに主の死を示してその来り給う時にまで及ぶなり。然れば宜しきに適わずして主のパンを食し、主の酒杯を飲む者は、主の体と血とを犯すなり。人みずから省みて後、そのパンを食し、その酒杯を飲むべし」

と命じ(同二十六節以下)、同じ一つの主の御体の記念たるパンを割く聖餐こそ、教会の肢のもつべき連帯意識の反省の場である事を教える。

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第二章 教会書>第三節 コリント前書概説12 終わり、次は第三節 コリント前書概説13

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