第二章 第三節 コリント前書概説6

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第一 教 会の問 題 (一章十節ー十章) 2

(1) 党争問題 (一章九節ー四章二十節)2

⁋然らば教会の拠るべき神の知恵とは何であろうか。それは「神の知恵たるキリスト」である 」(一章二十四節)。

「汝らは神に頼りてキリスト・イエスに在り、 彼は神に立てられて汝らの知恵と義と聖と救贖(あがない)とに為り給えり」

と述べられている(同三十節)。 是も然し此の世からは隠された知恵である。従って之を示す者は神の御霊のみである。

「御霊はすべての事を究(きわ) め、 神の深き所まで究むればなり」

と云われている如くである。斯くキリストは教会の知恵であるが、彼は絶対に対象的に知られる知恵ではないことを知らねばならない。神の知恵なるイエス・キリストは即ち教会の首(あたま)なるが故に、この有機体に属する者には、神の知恵が浸透するのである。教会の唯一の「基」なるキリストが、神の知恵だからである。換言すれば 教会は正に神の知恵なるキリストに帰一する秩序態である。それは本書では一つの「建築物」の比喩において語られている (三章九節以下)。それは

「アボロは何者ぞ、パウロは何者ぞ、彼等はおのおの主の賜うところに随い、汝らをして信ぜしめたる役者に過ぎざるなり…..種(う)うる者も、水灌(そそ)ぐ者も帰する所は一つな」

りという言、および「既に置きたる基のほかは誰も据(す)うること能わず、この基は即ちイエス・キリストなり。人もし此の基の上に金・銀・宝石・木・草・藁をもって建てなば、各人の工は顕るべし」という言において明示されている。斯かるキリストに帰する統一体としての教会にとり、分裂は絶対不可能な異質的な事柄だというのである。
⁋キリストを基とする秩序態としての教会を自覚することこそ神の知恵である。神の知恵とはこの自覚としての「帰一感」 又は「秩序感」に結果する。然れば教会の拠るべき神の知恵はキリストに帰一せしめる能力として働く。故に分裂せしめる能力として働くこの世の知恵とは全く異質的なのが神の知恵である。何故なら

「万(よろず)の物は汝らの有(もの)なればなり。或はパウロに・ 或はアボロ・或いはケパ・或いは世界・あるいは生・あるいは死・あるいは現在のもの・或は未来のもの・皆なんじらの有なり。汝等はキリストの有、キリストは神のもの」

だからである (三章二十一節以下)。従ってパウロは

「イエス・キリスト及びその十字架に釘けられ給いし事のほかは、汝らの中にありて何をも知るまじと心を定めたればなり」

といっている(二章二節以下)。 此の意味で彼は、この教会に対してはこれを生んだ使徒の権威において

「汝等にはキリストにおける守役一万ありとも、父は多くあることなし。そはキリスト・イエスに在りて福音により汝らを生みたるは、我なればなり。この故に汝らに勧む、我に效(なら)う者とならんことを」

と勧告しているのである(四章十四節以下)。

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第二章 教会書>第三節 コリント前書概説06終わり、次は第三節 コリント前書概説07

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