第二章 第三節 コリント前書概説5

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第一 教 会の問 題 (一章十節ー十章) 1

⁋この部分にはコリント教会に顕著に浮かび上ってきた党争問題・淫行問題・訴訟問題・結婚問題及び偶像への供物問題等が採り上げられ、それぞれに対するパウロの批判と、その処置に対する指示とが述べられている。これ等の批判と指示とにおいて特に強調せられているのは、教会と世との質的対立の自覚と、しかして律法を超えてこれを成就するキリスト者の自由ということとである。

(1) 党争問題 (一章九節ー四章二十節)  

⁋コリント教会の世俗化を暴露するのは、先ずその中に生じた党争問題である。それは

「わが兄弟よ、クロエの家の者、なんじらの中に紛争(あらそい)あることを我らに知らせたり。 即ち汝らおのおの『我はパウロに属す』『われはアポロに』『我はケパに』『我はキリストに』というこれなり。キリストは分たるる者ならんや」

という譴責(けんせき)の言に窺える(一章十一節以下)。これは人間の世に絶えない党派争いである。これが教会内の党派争いである処に教会の在るべからざる世俗化が暴露されている。それ故パウロはこれに対し

「汝らの中に嫉妬と紛争とあるは、これ肉に属する者にして世の人の如くに歩むならずや。或る者はわれパウロに属すといい、或る者はわれアボロに属すという、これ世の人の如くなるにあらずや」

という裁断を与えている(三章三節以下)。 茲に教会の世俗化が鋭く指摘されている。教会内に党派は断じて在るべきではない。キリストのみをその首とするのが教会たる所以だからである。この教会に斯くの如き分裂問題があるということは、教会が世の知恵の侵入を許している証拠に他ならない。それはこの世の知恵は神の前に愚かであることを知らないからである。即ちそれはこの「世の知恵」と、教会の拠るべき「神の知恵」との質的対立を自覚しない処に帰因している。パウロの「智者いずこにか在る、学者いずこにか在る、この世の論者いずこにか在る、神は世の知恵をして愚かならしめ給えるにあらずや。世は己の知恵をもて神を知らず。この故に神は宣教の愚かをもて、信ずる者を救うを善しと為給えり」という言は、この世の知恵と、救に至らしめる神の知恵との「質的対立」を指摘する言である (一章十九節以下)。

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第二章 教会書>第三節 コリント前書概説05終わり、次は第三節 コリント前書概説06

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