第二章 第三節 コリント前書概説2

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⁋これらの関係はコリント前書の内容を極めて複雑にしている。即ち一と度び甲の事柄につき述べ、次に乙の事に就いて述べていなから、更にまた甲の問題を繰り返えすというようなことが起っている。例えば第五章に「淫行」の事が述べてあり、第六章に「訴訟」の問題が録されているが、それが終ると、本章の終にもう一度淫行の問題が述べられ、第七章にも更めて「性」の問題が指示されている。これらは本書の書簡としての性格の為であると共に、前書簡の問題と伝聞した事と、問合せの問題という風に、内容が錯雑している為に起っている現象である。
⁋コリント前書はロマ書の次に置かれている為に、その差異が眼立ち、かれとこれとは対照的にみられ易い。ロマ書が極めて統一的であり、その一切が整然としていて、殆ど体系的ともいい得られるほどであるのに対して、本書は統一なく、その一切が問題の並列的叙述という感を与える。勿論これにはそうあるべき理由があった。ロマ書は前述のように、未知の教会に対して、福音大観を書き送るという公的性格をもっているのに対し、本書簡は自己が建設した教会に、その個々の誤謬や脱線に対し、細々とした指示と訓戒とを与える為に記されたという、私的性格が——勿論使徒より教会に宛てるという意味においては公的だが、両者の関係からみれば、パウロとロマ教会の関係に対しては斯くいうことができる——この差異を生み出したものである。
⁋従って本書簡には、パウロの個人的感情が可成り濃厚に現われている。その意味においてガラテヤ書と相通ずるものがある。勿論この両書間には全体の調子の鋭さにおいて非常な差異のあることが直ぐに気ずかれる。然し個人的感情が現われているということは、個々の問題に関する指導と、個々の誤謬に対する訂正と訓戒とが個人的であるということを意味しない。これ等の問題の指導は、凡て福音の本質に立脚して与えられ、そこからの演繹的説明によって凡ての教が与えられている。従ってこの前後書により、いわゆる教会的原則と応用とが極めて多く教えられている。

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