第二章 第二節 ロマ 書 概 説21

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結 語 (十六章) 1

⁋本書の最後の第十六章は、此の書簡の終りの挨拶であるが、ここには活ける交(まじわり)と、向安(こうあん・安否の気遣い)の形において、キリストの体なる教会の連帯性が提示せられている。この向安に現われてくる人名もそれぞれ、人種の別を超え、貧富貴賤の別を超え、凡ゆる社会層を網羅する協同体であり、それ故に、ただ「上から」可能とされた連帯性の縮図をなしている。ロマ書が教会を、異邦万民と選民との「邂逅」の場として提示する所以である。
⁋茲で終りに当って注意したいことが二、三ある。それはいわゆる平信徒にして、使徒パウロをかげに在って助け、彼をしてその宣教の大業をなさしめた人々に就てである。先ずプリスカとアクラとに就て、パウロはここに

「彼らはキリスト・イエスに在る我が同労者にして、わが生命のために己の首をも惜しまざりき」

といわれており、更に「又その家にある教会にも安否を問え」と記している(三ー五節)。 次はルポスとその母に就てで、

「彼の母は我にもまた母なり」

といわれている(十三節)。本章に述べられている多くの人々、殊にこの両者は、キリストに在りて、その「負債」を負債として受けとり、パウロの宣教の捨て石となった人々である。キリスト教は斯かる平信徒があったればこそ、今日の大をなしたのである。否・彼らを「平信徒」というのは当らない。 彼らもパウロと共に、「神の福音につきて祭司の職をな」す人々である。実に彼らによってこの部分全体の主題たる、福音における「負債」の受け取り方が教えられているのである。

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第二章 教会書>第二節 ロマ 書 概 説21 終わり、次は第二節 ロマ 書 概 説22

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