第二章 第二節 ロマ 書 概 説19

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説>第二章 教会書>第二節 ロマ 書 概 説

第二 負債 の 倫 理 (十二章―十五章) 4

(3) キリストに在る寛容性 (十四章ー十五章十三節)

⁋この部分は

「なんじら信仰の弱き者を容れよ、その思うところを詰(なじ) るな。ある人は凡ての物を食うを可(べ)しと信じ、弱き人はたゞ野菜を食う。食う者は食わぬ者を蔑(なみ・あなどる)すべからず、食わぬ者は食う者を審くべからず、神は彼を容れ給えばなり」

と命じ(十四章一節以下)、キリストの体なる肢のもつべき寛容性とは、先ず他人を審く位置に立たないということとして規定されている。

「然れば今より後、 われら互に審くべからず、寧ろ兄弟の前に妨碍(さまたげ)または 躓物(つまずき)を置かぬように心を定めよ」

といわれ、人を審かぬ寛容性は、進んで人を躓かせぬという心掛けとならねばならぬことを教えている。然し更に人を躓かせぬという思い遣(や)りは、具体的には「人の弱きを負う」処まで行かずしては不徹底であると教える。故にこの部分の綜括ともいうべき勧めは

「われら強き者はおのれを喜ばせずして、力なき者の弱きを負うべし。おのおの隣人の徳を建てん為に、その益を図(はか) りて、之を喜ばすべし。 キリストだに己を喜ばせ給わざりき」

という言で ある(十五章一節)。キリストの体の有機体の肢(えだ・てあし)が仰ぐべき模範は、全人類の弱きを負い給いし自己犠牲のキリストだからである。 キリストの教会の肢に要請せられる寛容性とは、「力なき者の弱きを負う」という本質から外れる時は、異質的なものとならざるを得ない。従って本書の勧は

「この故にキリスト汝らを容れ給いしごとく、汝らも互に相容れて神の栄光を彰わすべし」

と記されている(十五章七節)。 これこそキリストに対する負債感が、教会的倫理の唯一の基盤である所以である。

ーーーー

第二章 教会書>第二節 ロマ 書 概 説19 終わり、次は第二節 ロマ 書 概 説20

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説第二章 教会書>第二節 ロマ 書 概 説

 
 

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう