第二章 第二節 ロマ 書 概 説17

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第二 負債 の 倫 理 (十二章―十五章) 2

(1) キリストに在る連帯性 (十二章)  

⁋この部分の冒頭の

「己が身を神の悦び給う潔き活ける供物として献げよ」

という「献身」の勧告は、断じて不定なる場所における献身を意味していない。それはあくまでも「キリストの体」なる教会的有機体の肢としての献身である。従って

「我らも多くあれど、キリストに在りて一つ体にして各人たがいに肢(えだ)」

である。さればこの連帯性の意識の基底に要請されるのは、賜物の多様性に忠実に個性的でありつつ、然も自己謙虚であるという在り方である。この両者は何れが欠けても、教会的有機体の肢たるの連帯的責務を完うする事は出来ない。それ故一方に

「われらが有る賜物はおのおの与えられし恩恵によりて異る故に、あるいは預言あらば信仰の量にしたがいて預言をなし、あるいは務あらば務をなし、あるいは教をなす者は教をなし、あるいは勧をなす者は勧をなし、施す者はおしみなく施し、治むる者は心を尽して治め」

と命じられていると同時に、他方

「汝等おのおのに告ぐ、思うべき所を超えて自己を高しとすな。神のおのおのに分ち給いし信仰の量にしたがい慎しみて思うべし」、「相互いに心を同じうし、高ぶりたる思をなさず、反って卑きに附け。なんじら己を聰しと為な」

と勧められている。生来の人間において個性的であるということは、自己中心的・孤立的であるということと不可分離な現象である。然れどキリストの体なる教会の肢たる者に要請されるのは、使命に応じて個性的なれ、然る教会の肢として心ひくくあれという事である。

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第二章 教会書>第二節 ロマ 書 概 説17 終わり、次は第二節 ロマ 書 概 説18

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