第二章 第二節 ロマ 書 概 説13

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第一 福音の論理 (一章十八節—十一章三十六節)9

(3)福音による外(別)律法的義認 (三章二十一節ー八章)7

⁋この聖霊の確証は然し、単に信仰者に、上述の意味の「義認」が与えられていることを示すのみならず、更に進んでそれに由てのみ初めて窺うことを許される神の創造の秘義を知らしめるものである。即ち聖霊に由て義認され、神の子たる確証を与えられた者は、それに由て全被造物との「連帯感」にまで眼覚ましめられる。即ちこの八章後半をみるとこの宇宙の創造の秘義そのものへと力説点が移行しており、

「それ造られたる者は切に慕いて神の子たちの現われんことを待つ。造られたるものの虚無(むなしき)に服せしは、己が願によるにあらず、服せしめ給いし者によるなり。……我らは知る、すべて造られたるものの今に至るまで共に嘆きともに苦しむことを。然(しか)のみならず、御霊の初の実をもつ我らも自ら心のうちに嘆きて子とせ られんこと、即ちおのが体の贖われんことを待つなり」

と叙べられている(同十九節以下)。ここには、聖霊は吾人が神の子たるを確証すると同時に、個人の救が宇宙の救とは不可分離的なものであることを示すということが明記されている。その意味で聖霊こそは「被造物的連帯感の回復者」である。

「斯くのごとく御霊も我らの弱きを助けたもう。我らは如何に祈るべきかを知らざれども、御霊みずからいい難き嘆きをもて執り成し給う。また人の心を極め給う者は、御霊の念をも知り給う。御霊は神の御意に適いて聖徒のために執成し給えばなり」

と記している処によっても明かな如く、「御霊みずから我らの霊とともに」という聖霊の確証は、特に聖霊が「我等の為に執り成す者」で在し給う事に立脚している。

「我等の神の子たることを証し、 我らに被造者的連帯感を回復し、我らの為に常に執り成し給う」

聖霊の確証こそ、義認の絶対的確証である。この聖霊的確証の故に、吾人はパウロと共に「われ確く信ず、死も生命も、御使も、権威ある者も、今ある者も後あらん者も力ある者も、高きも深きも、この他の造られたるものも、我らの主キリスト・イエわスにある神の愛より、我らを離れしむるを得ざることを」 と叫び得るのである(同三十八節以下)。

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第二章 教会書>第二節 ロマ 書 概 説13 終わり、次は第二節 ロマ 書 概 説14

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