第二章 第二節 ロマ 書 概 説09

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第一 福音の論理 (一章十八節—十一章三十六節)5

(3)福音による外(別)律法的義認 (三章二十一節ー八章)3

(ロ) 「神学的解明」(五章)

⁋なる部分は、

「斯く今その血によりて我ら義とせられたらんには、況して彼によりて怒より救われざらんや」(五章九節)、

或は

「我ら若し敵たりし時御子によりて神と和ぐことを得たらんには、況(ま)して和ぎて後その生命によりて救われざらんや」(五章十節)

という言に代表的にみられる如く、義認に由て当然齎(もた)らさるべき救拯の確証を、あくまで神学的・原理的に押して論述している。即ち福音はアダムのみを始点とする人間に、他の未知の極点を開示した。即ちアダムは原罪の支配の始点というべきであるのに対し、他の極点とは恩寵の支配の極点なるイエス・キリストである。

「アダムよりモーセに至るまで、アダムの咎と等しき罪を犯さぬ者の上にも死は王」

として支配した。然しそれと逆に対応して

「神のめぐみと一人の人イエス・キリストによる恩恵の賜物とは、多くの人に溢れ」

るのである (同十二節以下)。恩寵とは正に

「罪の増すところには恩恵も彌(いや) 増」

すことに外ならない(同二十節以下)。 即ち

「それは一人の不従順によりて、多くの人の罪人とせられし如く、一人の従順によりて多くの人、義人とせらるるなり。律法の来りしは咎の増さんためなり、然れど罪の増すところには恩恵 (めぐみ)もいや増せり。これ罪の死によりて王たりし如く、恩恵も義によりて王となり我ら主イエス・キリストに由りて永遠の生命に至らん為なり」

と述べられている(同十九節以下)。 この部分は斯く、 恩寵の生む「対応の論理」を提示する事に由て、 義認を純粋に原理的に神学的に確証している部分である。

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第二章 教会書>第二節 ロマ 書 概 説09 終わり、次は第二節 ロマ 書 概 説10

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