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第一 福音の論理 (一章十八節—十一章三十六節)4
(3)福音による外(別)律法的義認 (三章二十一節ー八章)2
(b) 外律法的義認の解明 (四章ー八章)
⁋この部分は次の五項目からなっている。
(イ) 「旧約的解明」(四章)
⁋とせられた部分には、前項において信仰に由て義認されることは律法に由らざる義認なるが故に、人の側の誇を取り除くものであることを示したが、それは何故かに答えるに、旧約的論拠を以てしている。即ち
「アブラハム若し行為によりて義とせられたらんには誇るべき所あり、然れど神の前には有ることなし」
といい、働く事なくとも義とし給う神を信ずる者は、その信仰を義と認められることを示している(五節)。
⁋次に
「アブラハム神を信ず、その信仰を義と認められたり」
という言を、創世紀第十五章六節から引照して、
「アブラハムはその信仰を義と認められたりと。 如何なるときに義と認められたるか、割礼ののちか (創世記十七章)、無割礼のときか」
と問い、これに「割礼の後ならず、無割礼の時なり」と答えている。しかして
「無割礼のときの信仰によれる義の印として割礼の微 (しるし)を受けたり、これ無割礼にして信ずる凡ての者の義と認められん為に、その父となりまた割礼のみに由らず、我らの父アブラハムの無割礼のときの信仰の跡をふむ割礼ある者の父とならん為なり」、
或は
「是かの約束のアブラハムの凡ての裔、すなわち律法による義のみならず、彼の信仰に效(なら)う裔にも堅うせられん為なり」
と記し (十一節以下)、 選民の祖アブラハムさえ、その存在意義は、選民の為のみならず「信仰に由て義とされる万民」の為であったことを論証している。
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