第二章 第二節 ロマ 書 概 説07

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第一 福音の論理 (一章十八節—十一章三十六節)3

(3)福音による外(別)律法的義認 (三章二十一節ー八章)1

⁋信仰に由る義認こそ本書の主題であるが、それは本書においては律法に由る義認の絶対的不可能性の立証に続いて宣べられている。即ち

「律法の行為によりては、一人だに神のまえに義とせられず、律法によりて罪は知らるるなり」

という言につづいて、

「然るに今や律法の外に神の義は顕われたり……イエス・キリストを信ずるによりて凡て信ずる者に与え給う神の義なり」

と記され、信仰義認は外律法的義認として宣べられている(三章二十一節)。 しかしてこの部分は、外律法的義認の開示および外律法的義認の解明の二区分からなり、それは第八章の聖霊に由る「確証」という頂点に向って上昇的展開を示している。従ってこの部分は次の如くみられる。
(a) 外律法的義認の開示 (三章二十一節—三十一節) .
(b)外律法的義認の解明 (四章ー八章)
(イ) 旧約的解明 (四章)
(口) 神学的解明 (五章)
(ハ) 礼奠的解明 (六章)
(ニ) 限界的解明 (七章)
(ホ) 聖霊的解明 (八章)

(a) 外律法的義認の開示 (三章一節ー三十一節)

 ⁋律法に由らざる義認とは

「凡ての人、罪を犯したれば神の栄光を受くるに足」

りないが、

「功なくして神の恩恵により、キリスト・イエスにある贖罪によりて義とせらるる」

ことである(二十三ー四節)。 この信仰義認とは、神が自から義たる事を保持し給いつつ、人を義とすることが成り立つのであって、この両契機は絶対に離すことの出来ないものである。罪人を義認すると同時に神の義を顕わし得るという絶対的条件は、唯だ罪なきキリストの贖罪のみである。即ち「神は忍耐をもて過ぎ来しかたの罪を見のがし給いしが、己の義を顕わさんとて、キリストを立て、その血によりて信仰によれる宥(なだめ)の供物となし給えり。 これ今おのれの義を顕わして、自ら義たらん為、またイエスを信ずる者を義とし給わん為なり」と叙べられている(三章二十五ー六節)。しかしてキリスト・イエスのみに由る信仰義認の開示は、絶対に人間の功(いさおし)を否定するものであるが故に、人の側の「誇」を全く除くものである事を示している。

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第二章 教会書>第二節 ロマ 書 概 説07 終わり、次は第二節 ロマ 書 概 説08

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