第二章 第二節 ロマ 書 概 説03

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⁋さてロマ書の主題は「福音」である——「福音の何々」ではなく「福音」である。パウロの他の書簡においては、それぞれの主題が凡て「福音の何々」であって「福音」ではない。というのは他の書簡においては、それぞれの宛先の教会または個人における問題の為に、パウロが 訓戒・奨励・慰藉(いしゃ)を与えているもので、その意味において、それらの主題は凡て福音の適用の問題であり、福音による観方であり、福音による指示であり、福音よりの判断である。然るに ロマ書は、福音そのものの大観的解説ともいうべきもので、そこには教会における最初の教義学ともいうべき福音の論述が現われている。ここに帝国の中心にして、且つ将来、世界宣教の中心たるべきロマに在る教会に、宛てられた福音のマニフェストがみられる。
⁋この福音大観は、その論述の方法として、「上からの観方」と「下からの観方」とに分けてその説明が進められている。即ち一は「福音」という「上から」の契機であり、他は「負債」という「下から」の契機である。この「福音」の論理は、第一章から第十一章までに展開されており、

「我はギリシヤ人にも夷人にも智き者にも愚かなる者にも負債あり」

という「負債」の倫理は、本書の第十二章以下の後半に論述されている。福音は、万民に救を得さする「神の恩寵」なるが故に、之に与かる者は亦万民に対して「負債」があるのである。しかしこの「福音」という上からの契機と、「負債」という下からの契機の転廻点をなすのが、

「されば兄弟よわれ神のもろもろの慈悲によりて汝らに勧む、己が身を神の悦びたもう潔き活ける供物として 献げよ、これ霊の祭なり」

という言である(十二章一節)。 この言の冒頭の「されば」とは、前半の「神の恩寵」と後半の「負債感」とを結びつける接続詞である。即ち本書の前半に確証されている福音、即ち「神の恩寵」とは、キリストの贖罪として示されたものであり、従ってそこにおいて人類の神に対する負債を負債たらしめている原が示されたのである。故に「されば」 という言はこの対神的負債に遡源せしめ、且つ教会的責務を指示するのである。この前半と後半とを連結する「されば」という接続詞は斯く「遡源」と「指示」を担った言として浮かび上 ってくる。従って本書は序言と結論にはさまれたその本論を二分し、前者は「福音の論理」と して、後者は「負債の倫理」としてみられる。

緒 言 (一章一節ー十七節)
第一 福音の論理 (一章十八節ー十一章三十六節)
(1) 福音による対万民的審判 (一章十六節ー二章十六節)
(2) 福音による対選民的審判 (二章十七節ー三章二十節)
(3) 福音による外律法的義認 (三章二十一節ー八章二十九節)
(4) 福音による対選民的省察 (九章ー十一章)
第二 負債の倫理 (十二章ー十五章三十三節)
(1) キリストに在る連帯性 (十二章)。
(2) キリストに在る負債性 (十三章)
(3) キリストに在る寛容性 (十四章ー十五章十三節)
(4) キリストに在る祭司性 (十五章十四節ー三十三節)
結 語(十六章)

⁋以下これによって本書の内容を概観しよう。

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第二章 教会書>第二節 ロマ 書 概 説03 終わり、次は第二節 ロマ 書 概 説04

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