第二章 第一節 使徒行伝概説 35

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第三 異邦人・キリスト教会の発展 (十三章ー十八章)8

(1) 教会宣教の対異邦人的転向 (十三章ー二十二章二十九節)8

⁋第五に・この宣教の過程において注目すべきは、異教に対する福音の正しき態度が示されているという点である。異邦宣教者たるパウロおよびその同伴者は、異教関係者に対して、福音がそれを遙かに超越せる神的能力をもつ事を具体的に示した(十三章四節以下十四章八節以下十六章十六節以下・十九章十一節以下)。 しかしてこの異教の本質観が最も適切に表わされている処は、 パウロのアテネ訪問の記事においてである(十七章)。パウロはこの時この都の街路において「知らざる神に」という言を記した一つの祭壇を見出した(二十三節)。これに対してパウロは說教中に「然れば我なんじらが知らずして拝む所のものを汝らに示さん」と語ったと記されている。これは教会の対異教態度を示す最も代表的なものである。即ち異教の本質はその礼拝の対象を「知らざる」点にあると観る。従って異教が語る処は要するにその「知らざる」ことの自己暴露にしか過ぎないというのである。この事が然る哲学の都アテネにおいて語られたという処に注意せねばならない。これは取りも直さず、凡ゆる哲学に対する教会の宣言である。その一切の体系的大伽藍の壮大なるは、究極的に見れば「知らざる」ことの論理的自己暴露にしか過ぎない。教会がこれに対してこの目標的宣言をなし得た時は、生命と能力とに充ちていたが、 これにひれ伏した時は、その生命は全く失われていた。
⁋この旅行を貫いて、ユダヤ人のパウロ攻撃は激化したが、その中に在って「ただ聖霊いずれの町にて我に証して縲紲(なわめ) と患難と我を待てりと告げたまう」 と告白しつつ、

「主イエスの名のために、唯に縛らるるのみかは、死ぬること」

をも覚悟したパウロの姿が躍如と描かれている(二十章十九節以下・二十一章十節以下)。斯くてユダヤ人が彼を捕え殺さんとする殺意がその極に達した有様が、パウロの捕縛の出来事に叙述せられている (二十一章七節以下)。 以上がユダヤ人に「先ず」福音が語られたにも拘らずユダヤ人がこれを退けた為に、「已むを得ず」、福音は異邦人に向って語られるようになった転向の理由である。

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第二章 教会書>第一節 使徒行伝概説 35 終わり、次は第一節 使徒行伝概説 36

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