第二章 第一節 使徒行伝概説 27

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第二 ユダヤ・キリスト教会の形成 (三章ー十二章)12

(2) 散らされたる教会 (八章四節ー十二章二十五節)2

⁋ペテロの開眼の記事も、旧時代のユダヤ的偏見を打破する為の聖霊の聖業であった。ペテロが祈の為その家の屋上に登っていた時、「諸ろの四足のもの・地を創うもの・空の鳥」など——ユダヤ人には汚れたるものとされていた——が盛られた器が天から下った異象を見させられた。その時彼は

「ペテ口立て、居りて食せよ」

という天来の声を聴いた。ここに読者は、この異象 (まぼろし)がペテロの自己の欲求の投映ではない事を視る。 この汚れたものを食さぬという事こそ、彼らが古代より教えられてきた律法的慣習だったからである。然らばこれに対してペテロは

「主よ可(べ)からじ、我いまだ潔からぬもの汚れたる物を食せし事なし」

と答えた。然るにこれに対する命令は

「神の潔め給いし物を、汝潔からずと為な」

であった。この天から下った潔からぬ動物に対するペテロの反応こそは、ユダヤ民族の宗教的人種的偏見を指示する。即ち旧約書のレビ記の規定に、斯くの如きものに触れてはならぬとしている(十一章)。神はこれを今異邦人の象徴として用い、その民族の過去的風俗に従ってこれを汚れた者、潔からぬ者とすべきでないことを命じ、その致命的偏見を審き給うた。ペテロのいう如く、

「ユダヤ人たる者の、外の国人と交わり、また近ずくことは律法に適わぬ所」

であった(レビ記二十章二十六節)。然し選民イスラエルの失敗は、彼らが凡てのものを選民的特権として楽しみ、それに安んじようとし、ともすれば凡ての特権が、他の目的の為であったことを見失ったことに 帰因していた。 その「他の目的」とは、彼らを用いて為さるべき世界万民の救拯である(創世記十二章一節以下参照)。 更にこの異象の意味の解説をペテロが全会衆に向って為しつつある時、

「ペテロと共に来りし割礼ある信者は、異邦人にも聖霊の賜物のそそがれしに驚」

いたという出来事が起った。
⁋次いでステパノの大迫害の事件から結果したアンテオケ教会の設立とその強化とが語られている(十一章十九節以下)。弟子たちが「キリステアン」と称えられ始めたのは、このアンテオケにおいてである (同二十六節)。 更にヘロデ・アグリッパによるペテロの投獄、及びそこからの奇跡的脱出の証言が記されているが、その出来事も「われ今・まことに知る。主その使を遣わて・ヘロデの手・およびユダヤの民の凡て思い設けし事より、我を救い出し給いしを」とペテロをして告白せしめる出来事であった(十二章十一節)。 ここにもその「教会に対する聖霊の先行」が鮮かに辿られている。

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第二章 教会書>第一節 使徒行伝概説 27 終わり、次は第一節 使徒行伝概説 28

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