第二章 第一節 使徒行伝概説 24

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第二 ユダヤ・キリスト教会の形成 (三章ー十二章)9

(1) 建てられたる教会(三章一八章三節) 9

⁋さて以上の教会とこれに逆らう代(よ)との相剋の頂点が、第七章以下のステパノの大迫害に見られている。この大迫害は、ステパノの証言の結果その火蓋が切られたものとされている。そのステパノの証言は全体五十三節の長きに亘って記されているが、それは要するに「聖霊なる神の時代」に立って振り返って見た選民の歴史の再認識である。しかして

「汝らは常に聖霊に逆らう。 その先祖等のごとく汝らも然り」

とは、その鋭い単刀直入的結論である(五十一節)。 このステパノの証言の一大特徴は、その選民史の再解釈の中に、「イエス」という語も「キリスト」という語も現われていないという事実である。 然もそこには選民の歴史を貫いている民の

「項(うなじ)の強(こわ)さ」

が指摘されている(五十一節以下)。選民の歴史は神に導かれた歴史でありながら、なおその一大特徴を「項(うなじ)の強(こわ)さ」にもっていた。 それは前述された如き「否み得ぬものをなお否む」項の強さであり、それが先祖等をして神よりの言を語る預言者を迫害せしめ、義人を殺害せしめた動因であった(五十二節)。 それら凡ては本質的に「聖霊に逆う」行為であると結論された。しかし「項強くして心と耳とに割礼なき者よ、汝らは常に聖霊に逆らう、その先祖等のごとく汝らも然り」と語ったステパノの言は、彼ら会衆をして「これらの言を聞きて心、怒に満ち切歯しつつステパノに向」わしめるに充分であったのである(五十四節)。 即ちこの証言にはイエスとキリストとも記されていないが、「項の強さ」とはそのままイエスへの逆いであり、イエスへの逆いは即ち聖霊への逆いと質を同じくするものである。斯く「項の強さ」の本質が「聖霊への逆い」としてその真相をあばかれる事に由り、凡ての時代と凡ての人とが、イエスを十字架につけし者と同平面上に、同時に立たせられることを意味する。

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第二章 教会書>第一節 使徒行伝概説 24 終わり、次は第一節 使徒行伝概説 25

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