第二章 第一節 使徒行伝概説 23

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第二 ユダヤ・キリスト教会の形成 (三章ー十二章)8

(1) 建てられたる教会(三章一八章三節) 8

⁋この「曲れる代」の只中に置かれている教会は、その周囲から浸透し来る「世の精神」が、自己の中で醱酵するのを、防ぐことはできなかった。その中には「聖霊に対し詐(いつわ)る者」さえ起ったのであった(五章一節以下)。アナニヤとその妻サッピラの物語は、この事実を語るものであると共に、その御名を惜しみ給う神が、その教会の中に行い給う審きの厳しさを証ししている。神は教会において鋭くせられた人の良心を通してその審きをなし給うということである。
⁋続いて使徒等が教会に逆う者に捕縛されるという迄に迫害は激化した(五章十七節以下)。しかして彼らが怒りの余り使徒たちを殺害せんとした折しも、パリサイ人で凡ての民に尊ばれている教法学者ガマリエルが、議会で使徒ら擁護の論述をなした言が記されている。即ち彼は結論的に

「この人々より離れて、その為すに任せよ。若しこの企図(くわだて)その所作 (しわざ)人より出でたらんには自ら壊れん。もし神より出でたらんには彼らを壊ること能わず、恐らくは汝ら神に敵する者とならん」

と語った(五章三十八ー九節)。本書の冒頭には前述せし如く、教会が絶対に「人より出でた」ものではなく、「上から」聖霊に由て創設されたこと、即ち教会は神より出でたものであるということが述べられた。教会はこの世に置かれていながらこの世の中のではない。従ってこの世(代)は、この世に置かれた異質的な教会という存在に対して挑戦する。然しこの逆う世に立つ教会の絶対的確信は「それが神より出でたもの」であるということであり、神より出でたが故に、如何なる人間的たくらみもこれを完全には壊ることは許されないということである。このガマリエルの言はかの有名なシルレルの「世界の歴史は世界の審判なり」 という言を想起せしめる。 世の征服者は一時栄えても必ず亡びた。遠くはアッスリア・新バビロン・マケドニア・ロマ・近くはナポレオン・ヒトラー・ムッソリニーがこれを示している。教会は然るに不思議にも、凡ゆる迫害と困難とを通して、然も駸々(しんしん)と世界の隅々迄福音を浸透せしめている。リンコルンはいった・「凡ての人をしばらくの間だます事は出来る。少数者を永久にだます事は出来る。然し凡ての者を永久にだますことは出来ない」と。歴史的存続は必ずしもその存在せるものの絶対的真理であることの証拠だとはいえない。然し少くとも 二千年の長きに亘る日月を通して、全世界にその福音が伝道されてきた上に、今なお生き続けているということは、このガマリエルの予言が示しているように、それが神の聖業の証拠でないと誰がいえよう。

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