第二章 第一節 使徒行伝概説 15

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第一 教会の起源 (一章三節―二章四十七節)7

(2)教会時代の創始 (二章)5

⁋その三は・「罪の赦し」を与えられたということである。茲にイエスの十字架の贖罪的意義が——それがわからなかった為十字架直後に弟子らが四散したのであった——聖霊に由て明かにせられた。これこそ実に教会の宣教の核心となったことであった。 その四は・「バプテスマを受け、聖霊の賜を与えられ」たということである。ヨハネの水のバプテスマが、茲に初めて聖霊のバプテスマとなり、悔改めし者がキリストの体たる教会の肢とせらるべき「礼奠」の性格が明かにせられたのである(コリント前書十二章十三節参照)。その五は・「使徒たちの教を受け」たということである。正しき「使徒的教」のないところに、真の福音の理解はあり得ない。後の教会が「異なる教」と「健全なる教」または「善き教」とを峻別したのはこれが為である(テモテ前書一章三節・十節・四章六節・後書一章十三節・テトス書二章一節等)。その六は・「交際をなし」たということである。本書におけるこの後の叙述にも示されているように、この交際ということは教会の重要なる膠剤(こうざい)となった。教会の個々の肢は、上よりの能力に由るのみならず、兄弟 姉妹相互の交りより来る慰めに由て保たれる。いうまでもなくそれは「父およびその子イエス・キリストの交際」であると共に、「我らの交際」といい得られるものである(ヨハネ第一書一章三節参照)。

⁋その七は・「パンをさき」主の十字架につけられ給う前夜の晩餐を記念した。勿論それは後の聖餐式とまではなっていなかったが、その端緒がここにみられる。その八は・「祈祷をなすこと」であった。これは聖霊降臨前においてすら、弟子たちがひたすら努めたことであった(一章十四節)。然し殊に教会創設後はそこに祈祷の精神がみち溢れた。「祈り終えし時その集り居る処、震い動き」という経験が常に繰り返えされた(四章三十一節)。 殊にこれは困難の時においては更に旺(さか)んであった。ペテロが捕えられて獄に入れられた時、教会は祈っていた。彼が天の使に由て救われ、「マルコと称うるヨハネの母マリヤの家に往」った時、「そこには数多の者集りて祈り居たり」と記されている (十二章十二節)。 祈は教会動力の源泉に至る下からの管である。以上の諸点が、創設せられたる教会の特徴であったと記されている。

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第二章 教会書>第一節 使徒行伝概説 15 終わり、次は第一節 使徒行伝概説 16

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