第二章 第一節 使徒行伝概説 13

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第一 教会の起源 (一章三節―二章四十七節)5

(2)教会時代の創始(二章)3

⁋第三に・教会は「全体より」の創設であるということである。このペンテコステの日の聖霊は

「烈しき風の吹ききたるごとき響」

を以て天より降り、先ず「その坐する所の家に満ち、また火の如きもの舌のように現われ、分れて各人のうえに止まる」と叙されている。これは聖霊が先ず教会の「全体」を満し、次いで「個人個人」に満ちたということであり、それは要するに教会の創設が「全体から部分へ」という方向をもっていたことを示している。これは教会のみに限ったことでなく、聖書が指し示す恩寵の論理の方向である。即ち「全」が先で「個」が後である。それは遡れば、常に神の「全」が先行して、初めてそこに「個」が存在せしめられ るということであり、神の「所与」が先行する所にのみ、人の「獲得」が要請せられるということである。
⁋それは「全体から部分へ」・「全より個へ」という関係で、聖書の指示する「所与あっての課題」 GabeーAufgabe という「恩龍の論理」を反映するものである。これはヨハネ伝及びエペソ書の主張する教会観に対応する考え方である。教会の個人がより完くなって初めて、より完き教会が形成されるのではなく、また個人が集まって礼拝した処に教会が形成されたのではなくして、教会は已(すで)に既に

「イエス・キリストに在りて世の創の前から」

在ったのである。故に教会は、「イエス・キリストにおける選みの故に」、既に完きもの、瑕(きず)なきものである。個人はただその中に加えられるのである(エペソ書一章三節以下参照・コロサイ書一―二章参照)。 この特殊な教会の構造と秩序とが明瞭に理解されない処に真の教会観は生れない。これが歴史的事実として、先ずここに叙述せられているのである。

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第二章 教会書>第一節 使徒行伝概説 13 終わり、次は第一節 使徒行伝概説 14

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