第二章 第一節 使徒行伝概説 7

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⁋第九に・本書は天に在す主キリストと、地に在る教会とが「一体」であること、即ちキリストは「首(かしら)」であり、教会はその「体」であるという考え方を以て、この全発展段階を描いているということである。即ち迫害に由てステパノの石殺された時、天上にて神の右に坐し給うキリストが「神の右に立ち給うを見」たと記している(七章五十六節)。キリストが神の右に立ち給う、といっているのは、聖書中使徒行伝のこの部分においてのみで、他は凡て神の右に坐し給うと記している(ロマ書八章三十四節・ヘブル書一章三節等その他)。従って本書はこの特異な表現によって、「首(かしら)なるキリスト」と「体なる教会」との関係が、単なる理論や抽象的観念の問題ではなく、活ける事実なる事をその史観を通して示しているのである。また本書はサウロがエルサレム教会の信者らを迫害した事を、ダマスコ門前にて顕われ給いし天に在す主が、サウロに向い

「サウロ・サウロ・何ぞ我を迫害するか」

と云い給い(九章四節)、教会への迫害をキリスト御自身に対する迫害と為し給うている事実にこれを示している。これこそパウロ書簡を貫いて語られている「キリストと教会との一体観」が、そのまま歴史の形において叙べられているという事が出来る。これは恰度旧約聖書において叙べられている神エホバとその選み給いしイスラエルとの関係に対応するものである。即ち是は

「かれらの艱難(なやみ) のときはエホバもなやみ給いて、その面前(みまえ)の使をもて彼等をすくい、その愛とその憐憫とによりて彼等をあがない、彼等をもたげ、昔時(いにしえ)の日つねに彼等をいだき給えり」

という関係の新約的再現である(イザヤ書六十三章九節)。

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第二章 教会書>第一節 使徒行伝概説 7 終わり、次は第一節 使徒行伝概説 8

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