第一章 第四節 ヨハネ伝概説5

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⁋第七に・本書は「知」と「信」と「行」との正しき連関を教え、これに由て初めて、罪人が永世を与えられるものとしている。先ずこのことはこの関係を逆に見ることに由て正しく理解せられる。本書の終を見ると、その全体的目的が

「此等の事を録ししは、汝等をしてイエスの神の子キリストたることを信ぜしめ、信じて御名により生命を得しめんが為なり」

という言に明示せられている(二十章三十一節)。 この永遠の生命とは本書において次の如く、限定されているも のである。

「永遠の生命は、唯一の真の神に在す汝と汝の遭遣わし給いしイエス・キリストとを知るにあり」(十七章三節)

永遠の生命を「得る」 という事は即ち神とその独子を知るという事だといい、永遠の生命が特定の「知り方」を通して与えられる事を示唆している。本当に反復強調されている「知」とは随って、「永世に至らしめる知」であり、「救に至らしめる知」である。然ればこの書の意味する「知り方」 は対象的の知り方、あるいは第三者的な傍観的な「知り方」を意味しない。本書では「知る」ということは「信ずる」ことであり、信仰は即ち 「行為」である。多くの弟子が離れ去らんとした時

「なんじらも去らんとするか」

との主の問いに対して、ペテロは

「主よ、われら誰にゆかん、永遠の生命の言は汝にあり、我らは信じ、かつ知る。なんじは神の聖者なり」

と答えているが、その「信じ・かつ知る」という表現に示唆されている如く、本書は「知即信即行」の立場で語られている事を知らねばならない。しかし て本当の結文が語る「全き献身」においてこそ、この三つは真に一元的たらしめられるのであ る(二十一章)。
⁋ところが、本書の主要契機をなす「世」とは、その「知らざること」「悟らざること」即ち 「無知」なることを以てその性格としている。従って、この無知なる世の救とは、この「無知からの救」でなければならない。この世の無知からの救とは、神の全知なるロゴス・キリストが受肉した独子の神であることを「知る」事に由てのみ来る。然れば本書は正しい意味の教に至る「知」 とは何であるかを信仰的に解明している。 即ち本書はその「救に至らしめる知」を「上からの契機」と「下からの契機」 とにおいて述べている。「上からの契機」とは来るべき聖霊であり、「下からの契機」 とは人間の献身ということである (二十一章十五節以下)本書はこの両者の結合こそ、ロゴス・キリストを知る「全き知り方」であると告げる。ルカ伝もペンテコステに際して降る聖霊を待つべきことを告げるが、上からの聖霊を指し示すその指し示し方がヨハネ伝のそれと異っている。即ちルカ伝は人間の「無知」とその限界とから、来るべき聖霊降臨を俟望せしめるのに対し、ヨハネ伝はイエスが凡てを知り給う先在のロゴスの受肉者である「全知」から、その霊として来るべき聖霊を指し示すからである。

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第一章福音書>第四節 ヨハネ伝概説5終わり、次は第四節 ヨハネ伝概説6

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