第一章 第四節 ヨハネ伝概説4

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説>第一章福音書>第四節 ヨハネ伝概説

⁋第五に・本書は教会と神の国との関係という、新約書中何れの書においても、明かにせられていない問題を解明している。こういうと如何にもこの「関係」なるものは、啻(た)だ明かにせられていないだけと考えられ易いが、実は新約書の問題中最大のものの一つというべきものである。今日では新しいことではないが、今世紀の始ドイツのヴレーデ Wrede という学者が、共観福音書と書簡とは、内容的に全く異っているといい、前者は「神の国」を中心とし、後者は 「教会」を中心としているといい、イエスの宗教とパウロの宗教とは全く異ったものであったと主張した。それまではこの両者の差異に多少注意した者はあったにしても、殆どそれが斯くの如き神学的問題となるという程のことではなかった。だがこのヴレーデの著書、殊に「パウロ」によって、この問題が聖書学界と神学界の大問題となった。よくみると確かにこの両者の内容と性格とは異っている。 これに対する歴史的——宗教史的——説明は別として、これを正典的にみると、この問題は明かにヨハネ伝においてその連関がつけられている。
⁋この事は前項における「地上のイエスにおいて教会が潜在した」と、ヨハネ伝が観ていたという想定に対する証拠として挙げられたイエスの言において示されている。前掲の「水と霊とによりて生ずれば」という言と、「人あらたに生れずば」という言とが(三章五節・三節)、前者は教会のバプテスマを表わし、後者が教会の「新生」の教義を指さすといわれた。この事は更に進んで、この二つのことが「神の国に入る」ことと、「神の国を見る」こととの重要な条件とせられていることを示している。従って言を換えていえば、神の国は教会のバプテスマを受け、新生を味わいし者に依てのみ、初めて「見ること」 が出来るのであり、また初めて「入ること」ができるというのである。ここにおいて初めて神の国と教会との信仰的にして有機的な関係が、解明せられ且つ確立せられたということが出来る。

⁋第六に・本書の最も顕著なる特徴的の点は、本書が「証言」の神学的意義を解明していることである。新約書中証言という用語を用いている書物は非常に多いが、この語は本書において 初めてその神学的意義と内容を、明かにせられたということが出来る。先ずパプテスマのヨハネに依て旧約時代を象徴し、 その証言によって旧約全体が、「神の独子イエス」を証しする ものとしている(一章及五章)。 しかしてこの証は「父・子・霊」の綜関をなし、それによって, イエスを信ずる者が、彼を証しするようにせられている。本書は証言の類型として、先駆者ヨハネ及び弟子らの対受肉者的証言・受肉者の業に由る証言・父なる神の対受肉者的証言・旧約聖書の対受肉者的証言・及び聖霊の証言等を挙げている。 しかして本書は全巻を貫いてその 「証言」を分析的に多角的に論述している。

ーーーー

第一章福音書>第四節 ヨハネ伝概説4終わり、次は第四節 ヨハネ伝概説5

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説>第一章福音書>第四節 ヨハネ伝概説

 
 

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう