第一章 第三節 ルカ伝概説14

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第三 神国キリストの否認 (十七章—二十三章) 2

⁋この逆説は本書の全巻を貫いて、恩寵の原理として語られ強調されているものである。即恩寵は、悔改めて己れを卑うするものには祝福となり、悔改めずして己れを高うするには審判となるという意味において逆説そのものだからである。随つてこの恩寵は、この恩寵の意味する逆説も、 「悔改め」のない者には、絶対に理解できない性格のものであると結論されざるを得ない。
⁋然れば神国キリストの誤解は、要するに「悔改めなき人間の精神的限界」に他ならないのである。従ってこの精神的限界は、聖霊 に由て人間が「悔改めに導かれる」までは避けることの 出来ないものである。この事はイエスの弟子が、その主の座られんとする過越の晩餐の直後に語った会話に低ても立証されている。
⁋この事は本書における最後の晩餐の記録と、弟子たちの間の「誰か大いならん」という論争の記事の位置によって示されている。即ちマルコ伝においても、マタイ伝においても、「晩餐」が 後で(マルコ伝十四章十七節以下・マタイ伝二十六章二十節以下)、「論争」 が先行している(マルコ伝十章四十一節・マタイ伝二十章二十四節)。然るにルカ伝においては「晩餐」が先で(二十二章十四節—二十三節)、 「論争」がその後に直ぐ続いて記されている(同二十四節以下)。ここにルカ伝の特徴がある。即ち弟子たちのイエスに対する無智と無理解とは、最後の晩餐という、イエスの生涯における最も悲劇的なる光景を見せられても、なおそれを理解することが出来ず、その席を去らぬうちに

「己れらのうちたれか大いならんとの争論」

を起した程であったとルカ伝は観ているのである(二十二章二十四節)。 この弟子らの争論に対して、主は

「異邦人の王は、その民を宰(つかさ)どり、また民を支配する者は、恩人と称えらる。然れど汝らは然(し)かあらざれ、汝等のうち大いなる者は若者のごとく、頭たる者は事うる者の如くなれ」

と要請し給うた。しかして弟子らが如何に十字架の 逆說に耐えられなかったかという事は、弟子らの代表者たるペテロが、三度び主を裏切った事に依っても立証されている(二十二章六十節以下)。

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