第一章 第三節 ルカ伝概説13

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第三 神国キリストの否認 (十七章—二十三章) 1

⁋この部分にはエルサレム途上における主の教説及び受難週の、入城・宮浄め・終末に関する教説・晩餐・審問・十字架 ・埋葬等が叙べられているが、この部分の冒頭の

「躓(つまずき) は必ず来らざるを得ず、 されど之を来らする者は禍害(わざわい)なるかな」

という言は、神国キリストに対する誤解の必然なることを予告するものである。しかしてこの誤解は、遂に神国キリストの否認に終るのである。然もこの誤解は、生来の人間即ち聖霊を受ける前の人間には、例外なきものであることを本書は明示している。即ち弟子らにおいてさえ、聖霊を受ける前には正しいキリスト理解がなかったというのである。それは既に本書の第九章において示唆されている。

「人々みなイエスの為し給いし凡ての事を怪しめる時、イエス弟子たちにいい給う。 これらの言を汝らの心におさめよ。人の子は人々の手に付さるべし、かれら此の言を悟らず、 弁(わきま)えぬように隠されたるなり」

とされている如くである(四十三節以下)。
⁋先ず第一に神国キリストに対する誤解はパリサイ人の問に指摘されている(同二十節)。即ち

「神の国は何時来るべきか」

とパリサイ人がイエスにたずねた。この問は明かに、不可分離なキリストと神国とを分離して視る誤解に基くものである。 然ればキリストはこれに対して

「神の国は見ゆべき状にて来らず、また視よ・此処に在り・彼処に在りと人々云わざるべし。 視よ神の国は汝らの中に有るなり」

と答え給うた。既述せし如く、これは「汝らの『間』に有るなり」という意味であり、 キリスト即神国という神国キリスト Reich-Christus を意味している。
⁋神国キリストに対する誤解の第二は・イエスの十字架の贖罪的意義に対するものである。第九章に指摘された弟子らの主の十字架に対する無理解が、第一八章に再録されて

「弟子たち此等のことを一つだに悟らず、此の言彼らに隠れたれば、その云い給しことを知らざりき」

と説明されている(三十四節)。またキリストの十字架の無理解は、そこから出ずる逆説をも曲解させないことを意味する。それは、自己を失う者のみ自己を得、自己を卑しうする者のみ高らせられるという逆説である(十七章三十三節・十八章十四節・二十章十七節・二十章十七節・二十二章三十六節)。

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