第一章 第三節 ルカ伝概説12

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第二 神国キリストの要請 (四章ー十六章)5

⁋次にはイエスのガリラヤからの退去が述べられて居る(九章五十一節)。即ち

「イエス、天に挙げらるる時満ちんとしたれば、御顔を堅くエルサレムに向けて進まんとし」

給うたが、イエスがエルサレムに向って進み給う様を見てサマリヤの人々がイエスを受け容れなかったので、弟子らが

「主よ、我らが天より火を呼び下して彼らを滅ぼすことを欲し給うか」

と問うた。これに対して主は弟子らを戒め給うた事が記されている(同五十二節)。 ここにもまた、 その目的達成の為に近途である奇跡あるいは外的変革の方法を採り給わぬ神の国キリストが示されている。 またイエスが己を招きたる者にいい給うたものとして、ルカ伝のみが

「饗宴を設くる時は、寧ろ貧しき者・不具・跛者・盲人などを招け。彼らは報ゆること能わぬ故に、なんじ幸福なるベし」

という言を記して居る事も注目すべきである十四章七節ー十四節)。

⁋しかしてこの部分の終に、ルカ伝のみが記す「富める人とラザロ」の物語りも、貧しき者にのみ与えられる祝福を指示し、この「悔改め」の人間的責務を喚起せんとするものである(十六章十九 節以下)。この物語の意図は、富める人が、苦心の底から

「さらば父よ、願わくは我が父の家にラザロを遣わしたまえ、我に五人の兄弟あり、この苦痛のところに来らぬよう、彼らに証せしめ給え」

と願った時語られた、

「彼らにはモーセと預言者とあり、之に聴くべし」

とい う言及び

「もしモーセと預言者とに聴かずば、たとい死人の中より甦える者ありとも、其の勧めを納れざるべし」

という断言において窺うことが出来る。神国キリストが語るこの言は何を意味するであろうか? モーセと預言者とはいう迄もなく旧約聖書を指すものであるが、旧約聖書自身が人間の罪感――即ち神に対する負債感を喚起するものであり、従って旧約書が人間に対して悔改めの必要を説得するに充分であるという事である。それ故、神の国キリストの要請する「悔改め」は、旧約聖書を正しく理解する者には、当然な要請として受け取られる者であるという事である。
⁋換言すれば、旧約書全体は、人間に神の国キリストへの負債感( 即ち悔改め)を要請するに 充全なものであるという主張である。
⁋斯く本書はその材料の配列と構造とを通して、神の国キリストの要請は、人間が希求して止まない理想的社会を実現する為に、絶対欠くべからざる要請に他ならないことを説明せんとする。そこに逆に立証されているのは、十字架の贖罪的意義を悟らざる人間の矛盾である。それは理想的社会を求めながら、その実現の為の絶対的条件はこれを否認する、という人間の「我執」の暴露だからである。

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第一章福音書>第三節 ルカ伝概説12終わり、次は第三節 ルカ伝概説13

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