第一章 第三節 ルカ伝概説10

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第二 神国キリストの要請 (四章ー十六章)3

⁋ここにおいて吾人は、このヨベルの宣言が、イエスの荒野の誘惑に続いておかれているという事の意味を究明しなければならない。イエスが悪魔の誘惑に勝ち給うたということは、他でもない、「石に命じてパンと為らしめる」という、奇跡に由る経済的解決の方法を退け給うたという事である。従って理想的社会の現の為、貧しき者・捕えられるる者の解放者が その最も近途なる奇跡に由る方法を採り給わず、彼に対する人間の「負債感」を喚起する方法を採り給うたという事である。
⁋大釈放者なる神国キリストに対する「負債感」は、罪の自覚である。負債感の喚起せられる処、そこに「悔改め」が生れる。それこそ神国キリストに対する負債感としての「悔改め」のみが、神国入国の条件であると、本書が強調する所以である。従って神の国は人が何の民族に属するか、何の階級に属するかということとは無連関であり、「悔改め」 のみが神の国に入るべき唯一絶対の条件であるということになる。これこそ本書が神国キリストの要請を「悔改め」とする所以(ゆえん)である。即ち本書のみがヨベルの告知の後に、異邦人なるサレプタの一人の寡婦(やもめ)とシリヤのナアマンのみが、イスラエルの他の人の受けない祝福を神から受けたという旧約の記事を引照している(同十五節以下)、これもマタイ伝のメシヤが異邦人なるカナンの女に対して、

「我はイスラエルの家の失せたる羊のほかに遣わされず」

といい給いし記事と対照して受けとられなければならない。またマタイ伝及びマルコ伝においては最初の弟子らが「我に従え」という主の権能ある声に

「凡てを棄てて従った」

と視られているが(四章十八節以下・一章十六節以下)、ルカ伝のみは、シモン・ペテロがその「すなどり」の網を主の御言に従って下して夥(おびただ)しい大漁を見て、

「主よ、我を去りたまえ、我は罪ある者なり」

という罪の告白をして後、イエスに召された者としていることに依ていも、神国キリストとの唯一の結びつきを「悔改め」におく本書の特色が窺える(五章一節以下)。

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