第一章 第三節 ルカ伝概説7

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第一 神国キリストの俟望 (一章ー三章)2

⁋次には神国キリストの誕生は、第二にこれを俟望する者に、「審判」を意味する事が告知されている。即ちこのシメオンは

「視よ・この幼児は、イスラエルの多くの人のあるいは倒れ、あるいは起たん為に、また言い逆らいを受くる者の為に置かる――これは多くの人の心の念の顕われん為なり」

といった(同三十四節)。即ちイエスは神国キリストとして 大釈放(ヨベル)の告知者であるから、彼の到来においては、権勢ある心高ぶる者は低くせられ、心を低くする者は高められるからである。それは大釈放が富める者には裁きとなり、貧しき者には祝福を意味する所以である。
⁋この事はイエスの先駆者ヨハネの言として、本書のみが附加している

「主の道を備え、その路すぢを直くせよ。もろもろの谷は埋められ、もろもろの山と岡とは平げられ、曲りたるは直ぐ、嶮(けわ)しきは坦(たいら)かなる路となり、人みな神の救を見ん」

という、イザヤ書から引照せられている言にも反映がみられる(三章四節以下・イザヤ書四十章四節)。また大釈放の年の本来の目的は、経済的不平均の是正にあったが、その概念がその告知者イエスを俟望する前に対する先駆者ヨハネの要請にも反映している。 即ら彼は群衆に

「二つの下衣をもつ者は、有たぬ者に分け与えよ。食物を有つ者もまた然(さ)せよ」

といい、また取税人に対しては、

「定りたるものの外なにをも促(はた)るな」、

と命じ、兵卒に対しては、

「人を劫(おびや)かし、また誣(し)い訴うな、己が給料をもて足れりとせよ」

と勧告している(同十節)。これこそ神国キリストを迎える為の準備たる「悔改めに相応 (ふさわ)しき果」であるというのである(同八節)、斯く本書の冒頭には、イエス俟望は即大釈放告知者の俟望なるが故に、彼の到来は心を低くし悔改める者には恩寵を意味し、心の念の高ぶる者には審判を意味することが明示されている。しかし此の部分の終にはイエスの系図が添附されているが、(同二十三節以下)、それはマタイ伝の冒頭の系図が選民の太祖アブラハムで止められいるのとは対蹠的に、全人類の共通の祖アグムまで遡られている。ここにも異邦万民の救い主イエスを証しするルカ伝の特徴が貫かれている。

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第一章福音書>第三節 ルカ伝概説 7終わり、次は第三節 ルカ伝概説 8

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