第一章 第三節 ルカ伝概説3

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⁋第一に・マタイ伝が「律法」に重点をおき、メシヤをこの律法の成就者即徹底者とみているのに反し、ルカ伝は「恩寵」に重点をおき、キリストを異邦万民の罪よりの救拯者とみている。 ルカ伝のみが他の共観福音の用いていない「恩寵」Charis という語を数回繰り返えし用いていることは(一章三十節・二章四十節・四章二十二節)、このルカ伝の性格を暗示するものである。
⁋第二に・本書が異邦万民の救を目的として語っていることは、特に本作のみが記している有名な放蕩息子の喩えにおいて顕著に現われている。殊にこの点はユダヤ人の救を目的としているマタイ伝と対照してみるとき、より明かに観られる。放蕩息子の喩えにおいては(ルカ伝十五章十節以下)、二種の人物が現われている。それは兄と弟とである。この場合、兄はユダヤ人を表わし、弟は異邦人を表わしている。しかして前者は父の家を出でもしなかったし、また放蕩もしなかったが、然し悔改めるということは全然なかった。これに反して後者は分配せられ財産をもって父の家を出て、 放蕩によってこれを使い果したが、「悔改めて」父の家に帰り来った。その時の両者の精神状態が極めて印象的に語られている。即ち弟は

「父よ、我は天に対し又なんじの前に罪を犯したり、今より汝の子と称えらるるにふさわしからず」

という心境になったがこれと異って兄は弟の歓迎の為、屋内が楽しみをもって満たされている時、僕からそれが弟の為であることを聞いた時、

「兄、怒りて内に入ることを好まざりしかば………視よ、 我は幾歳も、なんじに仕えて、未だ汝の命令に背きし事なきに……然るに遊女らと共に、汝の身代を食い尽したるこの汝の子、帰り来れば、これがために肥えたる犢を屠れり」

といったのであった。ここに筆者ルカは、明かなる意図を以て、悔改を知らざるユダヤ人よりは、悔改める異邦人の方が、遙かに神の前に喜ばれる者であるということを叙べたのである。

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第一章福音書>第三節 ルカ伝概説3終わり、次は第三節 ルカ伝概説4

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