第一章 第二節 マルコ伝概説15

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第三 権能者イエスの期待 (八章二十七節ー十四章九節)3

⁋このマルコ伝の主張は、イエスが幼児を祝福なし給うた記事と、それに並んで記されている富める青年との会話においてその徹底を見る事が出来る(十章十三節以下)。イエスに近づく幼児らをその弟子等が止めんとした時、イエスが憤り

「幼児らの我に来るを許せ、止むな、神の国は斯くの如き者の国なり誠に汝らに告ぐ、凡そ幼児の如くに神の国をうくる者ならずば、之に入ること能わず」

といって、幼児を抱き、手をその上においてこれを祝福し給うたことを記している。神の国を迎え入れる真の態度がここに示されている。幼児らの特徴は、その無意識的ともいうべき巧みなき、他者への自己投企(自己をなげかけること)にあるといえよう。 神の国の来臨ということが、祝福の近づきである以上、この幼児らのそれの如き他者への巧まざる自己投企が、これを受くるにふさわしき態度であるというのである。
⁋これと並ぶ富める青年の記事と併せ考える時、 この事はより明快にされる。

「永遠の生命を嗣(つ)ぐためには、我なにを為すべきか?」

がこの富める青年の全関心である。即ち彼の神の国とは、自力に由てのみ獲得さるべき対象であることを示す。幼児らの無意識的にして巧なきに対して、これは如何に意識的にして、巧みに富んだ態度であろう。イエスの

「殺すなかれ・姦淫するなかれ・盗むなかれ・偽証を立つるなかれ・欺き取るなかれ・汝の父と母とを敬え」

という誡めの提示に対して、被は

「師よ、われ幼き時より皆これを守れり」

と述べている。この青年の答のかげには、律法主義の宗教からきた、神の国を自力に於いてのみ勝ち取らんとする自己充足的自力観がのぞいている。彼にとって神の国は自力の報酬として来るべきものであって、もはやそれは祝福ではなく、福音として近づく神の国ではない。これに対しての

「汝尙お一つを欠く、往きて汝の有てる物をことごとく売りて、貧しき者に施せ……且つきたりて我に従え」

というイエスの間髪を人れざる命令は、彼の自己充足的自力観を破る言である。

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第一章福音書>第二節 マルコ伝概説15終わり、次は第二節 マルコ伝概説16

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