第一章 第二節 マルコ伝概説13

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第三 権能者イエスの期待 (八章二十七節ー十四章九節)1

⁋マルコ伝のイエスは、以上見来りし如く、あくまでも人間の自発的応答を待ち給う権能者である。これは換言すれば、マルコ伝の証しするイエスは、自ら神よりの権能者でありつつ、人間の「自力」に期待をかけ給う者であるという、逆説的姿におけるイエスである。前述の如く、 福音書につづく書簡は、その重点を信仰の「他力性」においているが、そのことと対照してマルコ伝の示す「自力性」の位置が活かされて把握されねばならない(エペソ書一章三節以下・二章八節以下・コロサイ書二章十節参照)。
⁋マルコ伝の後半をなすこの部分には、共観福音の他の書物と共通の記事が見出されるが、 特にここで目立っているのが、この部分の終に近く見出されるレプタ二つを投げ入れた貧しき寡婦(やもめ)の記事と、ベタニヤにおいて香油をイエスに注いだある女の物語とである。先ず前者をみると(十二章四十一節以下)、イエスが宮の中の賽銭箱に向って坐し、群衆がその銭をこれに投げ入れるのを見て居給ふた時、富める多の者の中に混って、一人の貧しい寡婦が来て、「即ち五厘ほどなり」と説明されているレプタ二つを投げ入れた。その時イエスが弟子たちに語り給うた、

「凡ての者は、その豊かなる内よりなげ入れ、この寡婦はその乏しき中より、 凡ての所有、即ち己が生命の料をことごとく投げ入れたればなり」

という言は、ルカ伝と共通だが(二十一章四節)、 然し本書は「凡ての所有」という独得の句をこれに加えている。次はベタニヤの癩病人シモンの家の食事の席上、価高きナルドの香油をイエスに注いだある女の物語である(十四章三節以下)。 彼女に対するイエスの言は、略ぼマタイ伝と共通だが(二十六章十二節)、然し本書はこれに「なし得る限りをなして」というその独得の表現をつけ加えている(十四章八節)。 これらの附加された言によって、人間における自力的価値に対する本書の力説を見ることが出来る。従ってこの事実から、この部分全体に現われている諸種の物語や出来事は、他の共観福音書の一書または二書と共通でありながら、然も本当においては、この角度から特殊の意味を以て味わるべきものであろう。

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第一章福音書>第二節 マルコ伝概説13終わり、次は第二節 マルコ伝概説14

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