第一章 第二節 マルコ伝概説6

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⁋第四の点は・本書の描いているイエスの「奇跡」 と、これによって解放せられる人間の「信仰」との関係においてみられる。即ち本書は他の福音書の何れにおいても記されていない、その独特な言を以て、この関係を説明している

「彼処にては、何の能力ある業をも行い給うこと能わず」

という言がそれであるが(六章五節)、これは実に新約書全体としてみても、極めて印象的な言である。しかして「信仰」が如何に奇跡の行わるべき条件と観られているかを示した言である。
⁋第五の点は・本書は特に登場人物の「行為」そのものの描写に意を用いているということで ある。イエスに就ては「怒り見回して」(三章五節・五章丗二節)、「目をとめ、愛しみて」(十章二十一節)、「目を注めて」(同二十七節以下・十二章四十一節)という言を通してその行為に対して注意が喚起されている。またその献身を主に誓うペテロの姿を本書のみが「ペテロ力をこめて云う」と附言している事等によってもみられる(十四章三十一節)。
⁋第六の点は・本書は神の国が人間の自力的可能性の限界を超えて来臨するものとしていることである。即ち本書は権能者イエスを人間の自発的応答に対して絶大な期待をかけ給う者として提示している。例えばイエスの御足に香油を注いだ女の記事において、この女の行為をその 「なし得る限をなし」たことと解釈しているのはマルコ伝のみであるし(十四章一節以下)、イエスが人間に対して求め給う信仰も前掲の如く、未だ現実には与えられていない事をも「すでに得たりと信ぜよ」といわれている如くである(十一章二十四節) そこには明らかに人間的応答と信仰的自主性とでもいうべきものが強調されている。然も神の国は人間的自力に由ては来らず、人間的可能性の限界を超えて来るものとされている。これが神の国はあくまでも「福音」として来る所以である。

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第一章福音書>第二節 マルコ伝概説6終わり、次は第二節 マルコ伝概説7

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