第一章 第一節 マタイ伝概説20

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第五 メシヤの成就する過越 (二十六章ー二十八章) 1

⁋イエスはこれらの終末に関する告知をなし終えると、弟子らに

「なんじら知るごとく、二日の後は、過越の祭なり、 人の子は十字架につけられん為に売らるべし」

と予告し給うた(二十六章一節)。「過越」(すぎこし)とは、昔イスラエルがエジプトを出ずるに際して、神がその王パロをして、イスラエル脱出を許可せしめる為の最後の手段として示し給うた方法であった。即ち神はかたくななパロを打たんが為、その使をしてエジプト人の家における長子を殺さしめ給うた。然しイスラエル にはこれを免れしめんが為、子羊の血をその家の鴨居に塗りおかせ、神の使が、その血の標によってイスラエル人の家の前を過ぎ越すようになさしめ給うた。これからして「過越し」という呼称が出たのである。即ち

「その血なんじらが居るところの家にありて汝等のために記号とならん、我れ血を見る時なんじらを逾(す)ぎ越すべし、また我がエジプトの国を撃つ時災なんじらに降りて滅ぼすことなかるべし」

と評されている如くである(出埃及記十二章十三節)。このマタイ伝によれば、イエスは旧約の一切の要請と約束の成就者であるが、彼は十字架の死において、イスラエルの過越しの羔羊(こひつじ)の死をも完全に成就し給うたのであり、かくてイスラエルの救拯の必要条件の一切を充す者たるを立証し給うたのである(コリント前書五章七 節)。然ればこのメシヤによる「過越し」の成就こそは創世紀に表われている如く―― 「抽出」されし選民が、「棄却」されし世界万民に対して、その福音宣教の使命を果す時の熟したるを告知するものである。然れば本書は、異邦人を代表せるカナンの女の前に

「我はイスラエルの家の失せたる羊のほかに遣わされず」

と宣告する、「イスラエルの為のメシヤ」を描いている(十五章二十四節)、それは他でもない、選民イスラエルに深く狭く集中するメシヤの愛のみが、反って異邦万民の救拯を齎(もたら)すからである。即ちメシヤは先ず選民を選民たらしめし後、その救を異邦人に与えるべき者というメシヤ観が、本書に貫かれている。換言すれば、異邦人の救拯は、選民が選民としてその使命を自覚し、それに即する作り方をもつ時、初めて為し就げ られるものであるから、メシヤの第一の責務は、選民イスラエルを真の選民たらしめる事にあると観たのである。

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第一章福音書>第一節 マタイ伝概説20終わり、次は第一節 マタイ伝概説21

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