第一章 第一節 マタイ伝概説18

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第三 メシヤの暴露する偽善 (八章ー二十三章)7

⁋この葡萄園の警は、物語の始に「天国は………の如し」と、この喩えが世俗のことでないことを明示している。即ちこの園の主人は、この規則に則って各労務者にその賃金を払ったわけである。この規準は今日の言でいえば、「各人その能力に応じて働き、その必要に応じて受ける」 ということになる。この旧約の律法の経済的原則を遵守し、神の民の在り方に従っている園主に対して呟いた労働者の言は、生来の人間が律法の本来的要請には、本質的に耐え得ざるものである事を示している。これによって単に形式的律法によってのみ立たんとしたパリサイ人の根本的誤謬が暴露せられたわけである。
⁋斯くしてイエスのパリサイ人に対する弾劾は、更に激化せられてきた。即ちこの項の最後をなす第二十三章に於ての「預言者を殺し、義人の血を流す者」とは、外でもない偽善なる学者・ パリサイ人である事が断言せられている(同二十九節)。 即ち本書はメシヤの宣教の始に「幸福なるかな」という神の国市民に対する祝福を語り(五章)・メシヤの宣教の終に「禍害なるかな」という学者・パリサイ人に対する呪詛(じゅそ)を語り、その両者の間に対応関係をもたしめて居る事に注意せねばならない。呪詛の言は七回反復されて――イザヤ書の例にならい(五章八節以下)ーーそこには学者・パリサイ人の偽善が徹底的に暴露されている。彼ら偽善者の態度性格は、神の国市民の性格と対蹠的なものである。神の国市民とは、自己の空しさを知る者であり、その空しさを知る事によって、これを成就する者を指示する者であった。然るに偽善者は、「白く塗りたる墓」であり、「外は美しく見ゆれども内は死人の骨とさまざまの穢とにて満つ」る者であり、「外は人に正しく見ゆれども、内は偽と不法とにて満つる」者である(同二十七節ー八節)。 律法・預言者を成就する者の除外者とは、即ち律法・預言者に敵対する者である。それ故彼ら偽善者に対して旧約一切の成就者は

「この故に視よ、我なんじらに預言者・智者・学者らを遣わさんに、其の中の或る者を殺し、十字架につけ、或る者を汝らの会堂にて鞭うち、町より町に逐い苦しめん。之によりて義人アベルの血より、聖所と祭壇との間にて汝らが殺ししバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上にて流したる正しき血は、皆なんじらに報いあらん」

と宣告し給うたのであった(同二十四節以下)。

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