第一章 第一節 マタイ伝概説17

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第三 メシヤの暴露する偽善 (八章ー二十三章)6

⁋この選民イスラエルの経済的原則というのは、いわゆるマナ蒐集(しゅうしゅう)の原則で、イスラエルの荒野における経験において教えられたものである(出埃及記十六章十二ー二十四節、)出埃及後のイラエル人は、荒野において食物がなく非常に悩み、神の前に呟いた。そこで神はマナを――霜の如き小さき円きもの――その天幕の周辺に降らしめ給うた。彼らは老若男女皆出てこれを集めた。勿論体力の強弱と、知力の賢愚によって、その蒐(あつ)め得た処は各人皆違っていた。然し彼らはそれを当然の事として天幕に帰ろうとした。その時神の人にして指導者たるモーセは、オメル(枡)をもち出させ、帰る人々を止めて、その集めた量を計らせ、これを各人に平均して分けさせた。

「イスラエルの子孫(ひとびと)かくなせしに其の斂(あつめ)るところに多きと少きとありしが、オメルをもてこれを取るに、多く斂めし者にも余るところ無く、少く斂めし者にも足らぬところ無かりき」

という言が(出埃及記十六章十七ー八節)この記録である。即ちこの事は、人間の食糧と労働とは別個のものであって、多く働いたから食糧を余分に取り、少く働いたからその食糧を少く取るというべきものではないということと、更に労働はその人の体力が許す限りなすべきものであるが、食糧はその人が体力的に必要とするだけを受け取るべきものだということを、教えているのである。この食糧と労働とが別のものであるということは、実はこの荒野において初めて教えられたことではなく、既に旧約聖書において示されたる、原人の障落以前の楽園における原則であった。即ち人間は楽園に置かれ、そこには食物が充分過ぎるほど自然に備えられていたにも拘らず、彼にはその日々に為すべき労務が課せられていたのである。

「エホバ神その人をとりて、彼をエデンの園におき、之を理め(おさめ)――新訳「耕させ」之を守らしめ給えり」

といわれている (創世記二章十五節)。勿論この労務は人間の堕落以前のことであるから、「顔に汗して」するそれではなかった(同三章十九節)。かくの如く聖書においては、労働の量と食物の量とは、元米関係のないものとせられていた。これを関係のあるものの如く考え、多く労働したから、多く食物を得る権利があると考えるようになったの は、堕落後の人間の罪人としての考え方である。

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第一章福音書>第一節 マタイ伝概説終17わり、次は第一節 マタイ伝概説終18

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