第一章 第一節 マタイ伝概説15

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第三 メシヤの暴露する偽善 (八章ー二十三章)4

⁋第二に注目すべきは・この信仰告白に立つ者においてのみ、律法・預言者の指示する自己否定的在り方が成就されるという事である。それはこの信仰告白に立つ者のみが、この信仰の対象たるメシヤの生き方を我が生き方と為さしめられるからである。即ちこの信仰告白に続いてメシヤの受難が告知され、

「人もし我に従い来らんと思わば、已をすて、わが十字架を負いて、 我に従え。己が生命を救わんと思う者はこれを失い、我がために己が生命をうしなう者はこれを得べし」

という逆説が、弟子らのあるべき姿として提示されている(十六章二十四節以下)。この逆説のみが

「凡て人に為せられんと思うことは、人にも亦その如くせよ」

と云う律法・預言者の本質を、その成就者との関係において具現せしめるからである。(七章十二節参照)。即ちこの部分に集められている天国の喩えを通して反復強調されているのは、この律法・預言者の本質的要請であり、それは

「汝らが地にて縛ぐ所は天にても縛ぎ、地にて解く所は天にても解くなり」

という(十六章十九節、十八章十八節等)及び

「もし汝らおのおの心より兄弟を赦さずば、我が天の父亦なんじらに斯くのごとく為し給うべし」(十八章卅五節)

という言を通して、その要請の徹底が期待されている。しかして同時に葡萄園の喩えを始として、律法・預言者の成就者た るメシヤを除外せるあり方の根本的誤謬と偽善とが指示され、それは遂に第二十三章のメシヤ による学者・パリサイ人の偽善の弾劾にその頂点を見出している。

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第一章福音書>第一節 マタイ伝概説終15わり、次は第一節 マタイ伝概説終16

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