第一章 第一節 マタイ伝概説14

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第三 メシヤの暴露する偽善 (八章ー二十三章) 3

⁋第十三章に記された多くの天国の喩えの中の「毒麦の喩え」は、マタイ伝特有のものであるが (二十四節以下)、そこには以上の如くその本質を辿られてきた偽善者が、 毒麦に喩えられている。しかしてその毒麦は、「両(ふた)つながら収穫(かりいれ)まで育つに任せよ」といわれ、終末の審判の時まで、毒表は良き種に混在してはびこるが、その終末の審判に際しては「毒麦は集められて火に焚かるる」ものとされている(同四十節以下)。
⁋本書は一方に上述の如く、学者・パリサイ人の偽善を攻擊反駁すると同時に、他方、成就者なるメシヤに対する正しい関係を「信仰告白」として指示している。ピリポ・カイザリヤにおける弟子の「キリスト」に対する信仰告白の記事も、共観福音書に共通であるが、これに対してマタイ伝のみの添加がみられる(十六章十七節ー二十節)

「なんじはキリスト・活ける神の子なり」

というペテロの弟子を代表した信仰告白に対し、マタイ伝はイエスが

「バルヨナ・シモン汝は幸福なり、汝に之を示したるは血肉にあらず、天にいます我が父なり………」

と答え給う たことを記している。ここで第一に注目すべきは、この「汝はキリスト活ける神の子なり」と いうメシヤに対する信仰告白は血肉とは非連続なものであるという事である。ここに人は先ず 「宮よりも・ヨナよりも・ソロモンよりも大いなる」旧約の超越的成就者の真の理解と、これに対する信仰告白とは血肉に由らず、それからは非連続的に、天の父なる神に由るという事を示される。成就者とは成就する者であって、断じて成就される者と連続的ではない。成就者は 被成就者に対して、あくまで「非連続」として「連続」するのである。随ってイスラエル民族であるという血肉的連続は、断じてこのキリストに対する信仰告白をもたらすものではない。
⁋これこそ本書が洗礼者ヨハネをして、

「汝らわれらの父にアブラハムありと心のうちにいわんと思うな。我なんじらに告ぐ。神は此らの石よりアブラハムの子らを起し得給うなり」

と語らしめた理由として解釈すべきである(三章七節以下・参考ルカ伝三章八節)。しかしてこの血肉に由らざる信仰告白者に対し「われ天国の鍵を汝に与えん」といわれ、メシヤ・キリストに対する信仰告白のみが、天國入国の条件であることが明示されている(十六章十九節)。

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第一章福音書>第一節 マタイ伝概説終14わり、次は第一節 マタイ伝概説終15

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