第一章 第一節 マタイ伝概説13

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第三 メシヤの暴露する偽善 (八章ー二十三章) 2

⁋この凡ゆる祭祇律法の成就者なるイエスを離れて、自己充足を以て立つ、パリサイ人の在り方が、ここに「偽善」として暴露されて居る。器の内容の虚さを成就者には依らず、形式的儀礼を以て充しているとする処に、偽善の本質がある。またこの偽善なる学者・パリサイ人が、

「師よ、われら汝の微(しるし)を見んことを願う」

と求めたのに対し、イエスはこれを厳しく弾劾し給い、「汚れし霊」の比論を語り給うた(十二章三十八節以下)、この汚れし霊の喩えは、ルカ伝にも共通であるが、啻(た)だルカ伝はこのが語られた対象を限定せず、単に「或る者ども」としているのに、マタイ伝はこれを「学者・パリサイ人」と限定している処に注目せねばならない。即ち 「汚れし霊」に就ては

「人を出ずるときは、水なき処を巡りて休みを求む、而して得ず。すなわち『わが出でし家に帰らん』といい、帰りてその家の、空きて掃き浄められ、飾られたるを見、遂に往きて已れより悪しき他の七つの霊を連れきたり、共に入りて此処に住む。されば其の人の後の状は前よりも悪しくなるなり。邪曲なる此の代もまた斯くの如くならん」

といわれているが、これは、真に空虚なる器を充す成就者を拒否する学者・パリサイ人等の偽善に対する真相暴露の言である。

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第一章福音書>第一節 マタイ伝概説終13わり、次は第一節 マタイ伝概説終14

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