第一章 第一節 マタイ伝概説11

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第二 メシヤの成就する律法 (五章—七章) 2

⁋本書の性格が、「貫徹性」を以てその一大特色としている事は、注目に価する。 それは狭く深く個に徹し、以てその個をして自己暴露せしめるという事が「成就」ということの特質だからである。 その貫徹性は先ず前掲の如くイエスが、「律法の一点一画廃ることなく悉く全うする者」であるという主張において、 代表的に告知せられている。 即ち旧律法に命ぜられた 「殺すな」という事は、本質的には「兄弟を怒ることだにすな」という要請であり、「姦淫するなかれ」という律法は、本質的には「淫行の故ならで其の妻をいだす者、また出されたる女を娶る者」にも適用されなければならないものであり、「目には目を・歯には歯を」という五分五分の復仇法でさえ、「右の頬をうたれたら左をも向け」るという自己放棄の行われない処には絶対履行できないものである事を示している。しかして終に律法が要請するのは「天の父の全きが如く汝らも全かれ」という要請に他ならない事を告知している。かくして律法の本質的要請が貫徹される時、それはその要請を自己自身においては絶対に充し得ぬ人間の自己暴露となる事を示している。随ってそれは律法の徹底は必然的に律法の成就を、人間を超えた「他者なる成就者」に俟たざるを得ざらしめるという真理を指示するのである。しかしてこれこそメシヤの国または神の国の市民たるべき者の性格なのである。他の福音書では何れかといえば、 社会的または個人的倫理の教とひびくこれらの言が、本書のこの部分においては、前述のよう に綜括的に「神の国市民の在り方」の規定ともいうべき形において叙べられている。これこそ 本書の特徴というべきである。
⁋この教は第三に・己の義と誉(ほまれ)とを求める偽善に対する戒めと(六章一ー十八節)、それとは対蹠的に神の国とその義とを求めるべき勧めとを与える(六章十九節―七章終)。再びここには

「然らば凡て人に為せられんと思うことは、人にも亦その如くせよ。これは律法なり・預言なり」

と記し(七章十二節)、 律法・預言者の本質を「利他愛」即ち自己否定的愛として要約している。しかして終には「人は二人の主に兼ね事うること能わず……汝ら神と富とに兼ね事うること能わず」という言を通して、律法の成就者は

「エホバかマムモン(富の神)か・全か無か」

の二者選一を迫る事を宣告している。それは律法は貫徹される時、律法の成就者に対する 「全か無か」の関係以外に有り得ない限界を人に開示するからである。

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第一章福音書>第一節 マタイ伝概説終11わり、次は第一節 マタイ伝概説終12

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