第一章 第一節 マタイ伝概説8

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第一 メシヤの回復する歴史 (一章ー四章) 2

⁋然ればイエスは、如何なる方法でこの選民の歴史を回復し給うかというに、イエスはその誕生から、既に選民の歴史を過去に遡って、「踏み直す者」である事に注目せしめる。即ちヘロデ王の殺戮の刃(やいば)を逃れる為のイエスのエジプト行も、それはイスラエルの出エジプトの反復の為とみられて居る。その出来事を記した直後に、その出来事の意味を

「これ汝が預言者によりて、我エジプトより我が子を呼び出せり、と云い給いし言の成就せん為なり」

と附言している(二章十三節以下)。この言はホセア書よりの引照で(十一章一)、元来ユダヤ人の間にもメシヤ預言として解された事は曾(かつて)てない言である。然るにマタイ伝はこれをメシヤ預言として。 引用した事により、マタイ伝が無学者の手によって評されたものなりと考えられた事もあった。然しこれは非常な誤りで、マタイ伝はこの言を、イスラエル民族の出発点たる、出埃及からのその歴史のイエスによる、「踏み直し」の予告としてみて居るのである。 これ実に本書の特異なるメシヤ観である。またイエスがヨハネから洗礼を受け給うた出来事は、共観福音書に共通であるが、その記述においてマタイ伝のみが独自の説明を附け加えている。即ちマタイ伝のみが、ヨハネがイエスに授洗する事を拒んだことを記し(三章十四節以下)、

「われは汝にバプ テスマを受くべき者なるに、反って我に来り給うか」

と言ったと記して居る。而してその時のイエスの答として

「今は許せ、われら斯く正しき事をことごとく為遂ぐるは、当然なり」

という言が記されている。この答の意味は、旧約の凡ゆる要請の成就者たるメシヤは、イスラエルに代ってその罪を悔改むべきであるという意味において、このバプテスマを受け給うというのである。その意味において彼は「正しき事をことごとく為遂ぐる者」である、という本書の基本的解釈が、これによって明瞭にされている。

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第一章福音書>第一節 マタイ伝概説終8わり、次は第一節 マタイ伝概説9

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