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⁋マルコ伝はロマ人の為に書かれ、ルカ伝は世界万民の為に書かれ、「異邦人の光」として来り給いしイエスを描いている。然るに新約書冒頭のマタイ伝は、ユダヤ人に向けて書かれ、選民イスラエルへの狭く深い集中的叙述を以てその一大特色としている。マタイ伝中に散見され ているイエスの「異邦人の途にゆくな、又サマリヤ人の町に入るな。寧ろイスラエルの家の失せたる羊にゆけ」という言(十章五・六節)、 あるいは
「我はイスラエルの家の失せたる羊のほ かに遣わされず」
という言(十五章廿四節)、あるいは
「なんじらイスラエルの町々を巡り尽さぬうちに人の子は来るべし」
という言などには、本書のイスラエル中心的ともいうべき立場が露骨に語られている(十章丗三節)。また本書の冒頭におかれたイエスの系図にも、それは顕わである。即ちイエスの系図は「アブラハムの子・ダビデの子・イエス・キリストの系図」という見出しを以て書かれ(一章一節)、 イエスが選民の太祖アブラハムの直系であり、イスラエルの王ダビデの直系である事を示し、そこにはイエスの系図はこれ以上遡る必要なしという考が顕われている。これはルカ伝の「原人アダム」まで遡るイエスの系図の叙述と対照する必要がある(三章三十八節)。 またダビデに対する言及も他の共観福音書に比して極めて多い事が注意せられる。要するに世界万民の救い主としての理解なくしては、イスラエルのメシヤの理解が不充分であると等しく、イスラエルのメシヤとしての理解なき、万民の救い主としてのイエス理解も、また不可能であるというのがマタイ伝の自己主張である。
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第一章福音書>第一節 マタイ伝概説終5わり、次は第一節 マタイ伝概説6
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