第一章 第一節 マタイ伝概説3

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説>第一章福音書>第一節 マタイ伝概説

3/6

⁋この成就者の言に由て、旧約の律法・預言者全体の不完全性が全く暴露されるわけである。 この意味においてマタイ伝は、「旧約の成就者イエス」を描く為、旧約の啓示の管の代表的類型を採り、これ等とイエス自身との関係を叙べている。旧約の語る啓示の管(くだ)の類型とは、 祭司・預言者・智者の三つである。それらは預言者エレミヤの「それ祭司には律法あり、智慧ある者には謀略あり、預言者には言ありて失せざるべし」と語って居る代表的類型である(エレミヤ記十八章十八節)。メシヤなる成就者は、これら旧約の代表的な啓示の管の類型を超えて、 自己をこれ等「よりも大いなる者・勝れる者」として告知し給う者である。即ちマタイ伝によればイエスは「宮よりも大いなる者」であり(十二章六節)、「ヨナよりも勝る者」であり(十二章 四十一節)、「ソロモンより勝るものである」(同四十二節) 宮とは祭司の象徴であり、ヨナとは預言者の象徴であり、ソロモンとは智者の象徴である。
⁋叙上の理由から、本書は旧約聖書よりの引照に満ちているが、就中(なかんずく・とりわけ)イザヤ書の「苦難の僕」 (或はエホバの僕)の部分からの引照が非常に多い。 イザヤ書の「苦難の僕」の部分は、選民イスラエルの使命を確認せしめるものであり、万民の救をもたらさんが為、選民の必然的に負うべ き代償的苦難を預言的に叙べたものであり、個人たる「僕」の姿においてこれを歌ったものである。旧約の示す「遺残者」――理想的イスラエルーの在るべき姿は、これを以て最高峰とする。旧約聖書は実にこの詩を以て、選民イスラエルの死に由てのみ、万民の救拯が成就するという秘義を開明したのであった(イザヤ書四十二章一ー四節・四十九章一ー六節・五十章四十九節・ 五十章十節—五十三章十節)。随って旧約の成就者なるメシヤは、 この苦難の僕の姿を全面的にその身に担い給う者である。即ち若しイスラエルが旧約の深底をなすこの苦難の秘義を理解したとすれば、彼らは万民救拯の聖業に与かれる筈であった。然るに現実のイスラエルはこれを悟らざりし結果、その最高の選民的使命をも失わざるを得なくなったというのである。

ーーーー

第一章福音書>第一節 マタイ伝概説終3わり、次は第一節 マタイ伝概説4

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説>第一章福音書>第一節 マタイ伝概説

 

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう