第一節 ヨハネ黙示録概説 3

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⁋世の終末に関してコリント前書

「次には終きたらん、その時キリストは、もろもろの権能・権威・権力を亡ぼして国を父なる神に付(わた)し給うべし。彼は凡ての敵をその足の下に 置き給うまで、王たらざるを得ざるなり…万の物かれに服う時は、子も亦みずから万の物を己に服わせ給いし者に従わん。これ神は万の物において万の事となり給わん為なり」

と述べているが(十五章二十四節以下)、黙示録こそは、世の終末に際して神が「万の物において万の事となり給」時を語る書である。それが新約聖書における「子なる神の時代」としての第一区分 及び「聖霊なる神の時代」としての第二区分に対して、第三区分なる黙示録が「父なる神の時代」と称ばれる所以である。然も神が全被造物なる個々の被造者に、自らを映させ給うという宇宙救拯の歴史の目的は、唯だ一に「世の創から屠られ給いし神の羔羊キリスト」の血に由てのみ可能になることを告げるのが黙示録である。
⁋本書の内容は前述の

「汝が見しことと。今あることと・後に成らんとする事とを録せ」

という言によって(一章十九節)、 全く二部に分たれる。 之に序言と結尾とを附して全体が四つの部 分となる。

序  言  (一章一節ー二十節)
第一  「今あること」(二章一節ー三章二十二節)
第二  「後成らんとすること」 (四章一節―二十二章七節)
結  尾  (二十二章八節ー二十一節)

⁋以上の区分のうち、前述のように第一と第二は明確に「見しことと今あること」及び「後に成らんとする事」によって分たれるが、殊に第二の区分はその始にこの異象を示された「僕(しもべ)ヨハネ」は更(あらた)めて

「ここに登れ、我この後おこるべき事を汝に示さん」

といわれていて(四章一節後半)、これより後の部分がこれより前の部分と全く異るものであり、且つこの異象を示されたヨハネの位置が異っている。即ち「見しことと今あることを」・示された時は、彼の位置は「地上」であったが、第二区分の内容即ち「後に成らんとすること」または「此の後おこるベき事」を示されたのは「天上」であった。この意味において第一区分と第二区分とは、本書の内容を截然(せつぜん)と分つものであることがわかる。次に第一区分の「見しことと今あること」は、前述の如く、「過去」と「現在」とに分たるべきであるが、然しこの部分の内容は(第二章ー第三章) 過去と現在というように明瞭に分たれていない。従ってこの部分は上掲の区分の如く、「今あること」として、第一区分の中におさめて述べるのが正しいと思われる。

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第三章 預言書>第一節 ヨハネ黙示録概説 3 終わり、次は第一節 ヨハネ黙示録概説 4

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