第二章 第六節 エペソ書概説12

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第二 充す教会の悟り (三章) 2

⁋抑も悪霊の特徴は、真理を真理ならずとする処にある。福音書においてはイエスの恩寵に由る奇跡をベルゼブルによるものと悪霊が見させた事を録している(マルコ伝三章二十二節等)。 真理を真理として知りながらこれを否定する余裕があるということは真の真理の知り方ではない。 真理が真に真理として知られる時、そこには必ず恐怖と戦慄とが起る。況(いわん)や歴代歴代かくされていた前述の宇宙的秘義が、教会によって中空を支配する権威に示される時、彼らはその存在の中枢より悪感と戦慄を感ぜしめられるのである。然ればパウロの教会に対する祈願は

「この故に我は天と地とに在る諸族の名の起るところの父に跪(ひざま)ずきて願う。父その栄光の富にしたがいて、御霊により力をもて汝らの内なる人を強くし、信仰によりてキリストを汝らの心に住わせ、汝らをして愛に根ざし・愛を基とし、凡ての聖徒と共にキリストの愛の広さ・長さ・高さ・深さの如何ばかりなるかを悟り、その測り知る可からざる愛を知ることを得しめ、凡て神に満てる者を汝らに満しめ給わん事を」

という教会の悟りにおける深化に集中されている(同十五 節以下)。 ここに、

「万の物を以て万の物に満し給う者の満つることその事」

なる教会においては、「悟る」事即「満たされる」事であるのに注目したい。

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第二章 教会書>第六節 エペソ書概説 12 終わり、次は第六節 エペソ書概説 13

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