第二章 第四節 コリント後書概説8

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第一 役者パウロの確信解明 (一章十二節―七章)5

(3) 聖別の確信 (五章十一節―七章)

 ⁋パウロの役者としての確信の第三の根拠は、彼がキリストによる新創造として聖別された事に基く確信である。この部分にはパウロの心をひきしめていた憂慮は消え去って、確信を語る魂の昂揚が高鳴っている。即ちパウロを根源的に立たしめているのは、

「キリストの愛我等に迫れり」

という、彼をして巳(や)む能(あた)わざらしめるキリストの 愛の肉薄である(五章十四節)。 それは土くれに等しき人間をも、神の器としての新創造たらしめずしては巳まないキリストの愛である。この新創造とされた人間は他から聖別されて、神の和らぎの言を委託された者である。

「神はキリストによりて我らを己と和(なご)がしめ、 かつ和がしむる職(つとめ)を我らに授け給えり……されば我等はキリストの使者たり」

と述べている如くである(五章十八節以下)。役者とは即ちこの和がしめる職を、神より委託された人間である。それ故この委託を受けたパウロは、

「我等この職の謗(そし)られぬ為に何事にも人を躓かせず。 反って凡ての事において神の役者のごとく己れをあらわす……我らは人を惑わす者の如くなれども真、人に知られぬ者の如くなれども人に知られ、死なんとする者の如くなれども、視よ生ける者、憂(うれ)うる者の如くなれども常に喜び、貧しき者の如くなれども多くの人を富ませ」

る者であるといい(六章三節以下)、 新創造としての福音の役者の、世における逆説的在り方を示している。
⁋かく新創造として、神と世との間に立つ、和らぎの言を委託された役者は、この世との一応の断絶におかれる。「世から」切断され、聖別された新創造としての自覚のみが「世に対して」 和(な)ぎの言を委託された役者としての確信を与えるからである。この聖別の確信が、コリント教会の凡ての肢にも求められているものである事を告げるのが、

「不信者と軛 (くびき) を同じうする な、釣合わぬなり、 義と不義と何の干与 (あずかり)かあらん、 光と暗と何の交際かあらん。キリストとベリアルと何の調和かあらん、信者と不信者と何の関係 (かゝわり)かあらん」

という警告の言である(六章十四節以下)。この聖別の確信のみが、教会をその在るべき姿に立たしめ るものであることを繰り返えして、

「されば愛する者よ、われら斯かる約束を得たれば肉と霊との汚穢(けがれ)より全く己を潔め、神を畏れてその清潔を成就すべし」

と奨めている(七章一節以下)。しかしてこの第一の区分を縦括する為、凡ゆる教会的憂慮と役者の不安を超克せしめ給いし神 に対して、コリント教会の注視を喚起してこの部分の叙述は終っている。
⁋以上見来りし如く、この第一項では、イエス・キリストにおける「然り」のみが、教会の役者の唯一の「然り」であり、確信であること、しかしてそれは我の否定におけるキリストの肯定であり、我の死において顕われるキリストの生であることが強調されている。

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第二章 教会書>第四節 コリント後書概説 8 終わり、次は第四節 コリント後書概説 9

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