第二章 第四節 コリント後書概説6

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第一 役者パウロの確信解明 (一章十二節―七章)4

(2) 逆理の確信 (四章七節ー五章十節)

⁋「我等この宝を土の器に有てり、これ優れて大いなる能力の我等より出でずして、神より出ずることの顕われんためなり」

というこの部分の冒頭の言は宝を盛る土の器としての、キリストの役者の逆理的性格を示すものである。キリストの役者の確信は、断じて彼自身から溢れ出ずる能力に対する確信ではない。キリストの無限の宝を盛る彼が、自らはそれに全く適(ふさ)わしからざる「土の器」であるが故に、彼はキリストの証人とされ・優れて大いなる能力が彼からのものでなく、唯だ彼を超えた神から出ずることが顕わにされる。それは指し示す証言者が隠されれば隠されるほど、被証言者なるキリストが顕わにされるからである。この証言者の逆理が自覚される処にのみ、教会の役者の真の確信が与えられる。 この逆理に基くパウロの確信を語るのが、

「われら四方より患難を受くれども窮せず、為(せ)ん方(かた)つくれども希望を失わず、責めらるれども棄てられず、倒さるれども亡びず、常にイエスの死を我らの身に負う。これイエスの生命の我らの身にあらわれん為なり。それ我ら生ける者の常に イエスのため死に付さるるは、イエスの生命の我らの死ぬべき肉体にあらわれん為なり」

という言である(四章八節以下)。然しこの逆理を把握せしめる者は聖霊を措(お)いて他にない。それ故彼は

「我らを此の事に適うものとなし、その証 (しるし)として御霊を賜いし者は神なり。この故に我らは常に心強し……見ゆる所によらず、信仰によりて歩めばなり。斯く心強し」

と、彼の確信の秘訣が逆理に根ざしたものであることに注視せしめる(五章四節以下)。

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第二章 教会書>第四節 コリント後書概説 6 終わり、次は第四節 コリント後書概説 7

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