38-23「どうしたら正しく理解することができるか?」94

ホーム聖書通読ガイド信仰雑話3

(マルティン・ハイデッガー(1889-1976年)によって、
「現象学的解釈はーー存在者の存在の構造の規定である」という定義が、「文献解釈」に応用されるとき、
◉「その著者からまったく離れ客観的存在者」となって独立した文献の「それ自身をそのもの自身において示すところのもの」の「解釈」が、目標となることを教えられました。
「同一文献」を対象とし、「同一文献」の上に立ちながら、その「文献」の背後に立つ、
◉「著者」の方向への解釈と、
◉「文献」そのものの「存在」の方向への解釈と、まったく相反する二つの方向への解釈が、成立することとなったのです。
これが人類誕生以来、求め続けてきてようやくたどり着いた現代の「文献解釈学」です。
◉それに基づいて、聖書をみます。)

聖書の正しい読了観(23)

★「類型的書物の相関」⑴

エレミヤ書の語る旧約啓示の「管(くだ)」である「祭司の律法」をしるした諸書と、「知恵ある者の謀略」をしるした諸書と、「預言者の言葉」をしるした諸書とが、それぞれの類型的特徴をみてきました。

これら三者の相互関係はどういうものでしょうか。

◉三者は、相互に「対立」関係にあります。

◉一般としては、編纂者が相反する史料に直面する時は、一の評価から他を取り除き、抹殺するという方法がとられますが、聖書の記者あるいは編纂者は、あえてこの道をとらず、相反する主張をもつ史料を、その対立のままに聖書正典の中に配するという道をとっています。

◉要するに編纂者は、それらをそのままおくことにより、その「対立に意義」を見出していたというべきでしょう。

◉なぜなら、対立は双方を反って明確化し、しかも対立はその相反性の故に、生まのままの両者を否定して、より高い次元で止揚される(イエス・キリスト)という動的解釈に進ませるからです。

以下順次、「祭司的(律法)類型」と「預言者的類型」、「預言者的類型」と「知者的類型」、「祭司的書物」と「知者的書物」とを書きますが、どれも上記の意図なのです。

◉第一に、「祭司的(律法)類型」と「預言者的類型」との相互関係をみます。

この相関は、バビロン虜囚前の書物と、虜囚後の書物では、非常に異なっています。

虜囚前では、この両類型の相関は、その形式も、内容も、激しい矛盾と対立とに有りました。

荒野で与えられた律法をみると、祭司は選民の最高の指導者の上に立ち、

「あなたは神の霊の宿っている人、ヌンの子ヨシュア(モーセの後継者)を取り、あなたの手を彼の上に置け。
彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、彼らの見ているところで彼を任命せよ。
あなたは、自分の権威を彼に分け与え、イスラエル人の全会衆を彼に聞き従わせよ。」(民数紀略27:18ー23)

と規定されているほど高い位置を占めていました。

カナン侵入後幕屋がシロに置かれていたときは、祭司はその幕屋に奉仕して権威をふるっていました(Ⅰサムエル1:9、2:12以下)。

王国時代には、祭司は偽って王位を取った者を倒し、正しい王統に属する者を王にするという、権力をさえもっていたのです(Ⅱ列王紀略11章)。

他方、預言者をみると、それが一つの恒久的な形において現われたのは、カナン侵入以後で、その最初の形は女預言者デボラに見られ、イスラエルの義勇軍を鼓舞するだけの霊的能力をもっていたものとされています(士師記4ー5章)。

しかしそれが真に一つの運動として始まったのは士師時代で、ペリシテとの戦争でイスラエルが打ち負かされ、その権力下に置かれていた当時だったようです(Ⅰサムエル10:5)。

この一群の預言者の長はサムエルだったらしく(Ⅰサムエル19:20)、この人々の預言の状態は、

「彼もまた着物を脱いで、サムエルの前で預言し、一昼夜の間、裸のまま倒れていた。
このために、『サウルもまた、預言者のひとりなのか』」(Ⅰサムエル19:24)

という状態でした。

この状態は一般民衆の間でも蔑視されたものとみえ、

「サウル(のような有能な青年)も(あの卑しい)預言者の中に在るのか」(Ⅰサムエル10:12、19:24)

ということわざができたほどでした。

しかし徐々にその間からダビデのもとにあったナタンのような強力な預言者が起こり(Ⅱサムエル12章)、大預言者エリヤ(Ⅰ列王紀略17ー19章)とその弟子エリシャのような者が出て(Ⅱ列王紀略2:11以下)、その真価が王家にさえ認められるようになったのです。

預言者エリシャの死に臨んでイスラエルの王ヨアシは彼を見舞い、

「エリシャが死の病をわずらっていたときのことである。
イスラエルの王ヨアシュは、彼のところに下って行き、彼の上に泣き伏して、
『わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち』」(Ⅱ列王紀略13:14)

と言ったとしるされているほどです。

その意味は預言者エリシヤが、王の「父」にも当たり得る者であり、イスラエルの兵車または騎兵に該当し得る者であるという意味です。

このエリシャによって預言者の訓練が行なわれたように見えます(Ⅱ列王紀略4:1、38、6:1、9:1など)。

しかし一般的にはこれら「預言者の徒」は依然として蔑視され、「狂える者」とみられていました(Ⅱ列王紀略9:11)。

預言者エリヤ、エリシャが去るとともに徐々に職業的になったようです。

このような時に、北王国ヤラべアム(第二世)の時代に「預言者の子ではない」(職業的でない)預言者が起こってきたのです。

この新しい型の預言者と、当時宮廷の礼拝所の祭司との記録が、アモス書に、「預言者アモス」に対する「祭司アマジヤ」の言葉としてしるされています(アモス書7:10ー12)。

ここには明らかに祭司の見た反預言者観があります。

祭司は、国王所属の礼拝所で奉仕して、「食物を得」ていますが、預言者は、道路に立って叫んで、「食物を得」ています。

大道芸人か乞食の類です。

要するにこの考え方からいえば、祭司といい、預言者といって、その呼称は異なっていても、それが「職業」であり、それが「食物」のためであることでは同一なわけです。

祭司アマジヤは、預言者アモスに対して、

「それからアマジヤはアモスに言った、
『先見者(預言者の蔑称)よ、行ってユダの地にのがれ、かの地でパンを食べ、かの地で預言せよ。しかしベテルでは二度と預言してはならない。ここは王の聖所、国の宮だから。』」(アモス書 7:12-13)

これに対して、預言者アモスは、

「アモスはアマジア(祭司)に答えて言った。
『私は預言者ではなかった。
預言者の仲間でもなかった。
私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた。
ところが、主は群れを追っていた私をとり、主は私に仰せられた。
『行って、わたしの民イスラエルに預言せよ』」(アモス7:14ー15)

と反論しています。

ここに両者の絶対的な「食い違い」がありました。

預言者アモスが、

「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。」(アモス3:7)

といったのは、けっして職業的、独善的立場からいったものではなく、まったく召命の確信からほとばしり出た言葉でした。

こうして預言者と祭司との間に、ハッキリした一線がひかれるようになったのです。

預言者ホセアは、

「盗賊が人を待ち伏せするように、祭司たちは仲間を組み、シェケムへの道で人を殺し、彼らは実にみだらなことをする。」(ホセア6:9)

といい、
預言者ミカは、

「そのかしらたちはわいろを取ってさばき、その祭司たちは代金を取って教え、その預言者たちは金を取って占いをする。
しかもなお、彼らは主に寄りかかって、
『主は私たちの中におられるではないか。
わざわいは私たちの上にかかって来ない』
と言う。」(ミカ3:11)

といい、
預言者ゼパニヤは、

「その預言者たちは、ずうずうしく、裏切る者。
その祭司たちは、聖なる物を汚し、律法を犯す。」
といい(ゼパニヤ3:4)

預言者エレミヤは、

「そのかしらたちはわいろを取ってさばき、その祭司たちは代金を取って教え、」(エレミヤ2:8)

といっています。

もちろんこれらの対祭司の言葉は、職業的預言者に対する言葉と、同時同様に語られているものです。

これによって預言者と祭司との反発、対立が現われています。

外形での預言者と祭司との対立は、その内容的方面においては、ことに鋭く現われていました。

両者の根本的立場における矛盾は、「祭司的書物」の中心である「幕屋」とその「祭祇」とに関する問題でした。

「祭司的書物」中の最大権威である「律法」について出エジプト記では、

「彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。」(出エジプト記25:8)

と命じられ、イスラエルはそこで犠牲をささげていたとしるされています(レビ記全体)。

他方、預言者エレミヤ記をみると、

「わたしは、あなたがたの先祖をエジプトの国から連れ出したとき、全焼のいけにえや、ほかのいけにえについては何も語らず、命じもしなかった。」(エレミヤ7:22)

と、この命令のあったことが否定されていますし、
預言者アモス書をみると、

「イスラエルの家よ。
あなたがたは、荒野にいた四十年の間に、ほふられた獣とささげ物とをわたしにささげたことがあったか。」(アモス5:25)

とその事実も否定されています。

これこそ旧約聖書中の最大問題の一であって、相互の主張は歴史的事実に関するものであるだけに、その調和は絶対的に不可能です。

さらにまたこの対立は、祭司的「犠牲」とその「節会」とに対する、預言者の非難と攻撃とに現われています。

預言者アモスは、

「ベテル(「神の家」)へ行って、そむけ。
ギルガルへ行って、ますますそむけ。
(ギルガルは、ヨルダン川渡渉の記念として、12個の石を立てた場所であり、ヨシュアはここで新世代の者たちに割礼を行った。)
朝ごとにいけにえをささげ、三日ごとに十分の一のささげ物をささげよ。」(アモス4:4ー5)

といい、
さらに、

「わたしはあなたがたの祭りを憎み、退ける。」(アモス5:21ー22)

といっています。

預言者ホセアはまた、

「わたしは彼女のすべての喜び、祭り、新月の祭り、安息日、すべての例祭を、やめさせる。」(ホセア2:11と4:14)

といっています。

この反祭祇的態度は、イザヤ書に至ってほとんどその頂点に達したかのようにみえます。

「『あなたがたの多くのいけにえは、わたしに何になろう』
と、主は仰せられる。
『わたしは、雄羊の全焼のいけにえや、肥えた家畜の脂肪に飽きた。
雄牛、子羊、雄やぎの血も喜ばない。
あなたがたは、わたしに会いに出て来るが、だれが、わたしの庭を踏みつけよ、とあなたがたに求めたのか。』」(イザヤ1:11ー12)

とはその言葉です。

以上バピロン虜囚前に属するものとされている書物においてみられる、
預言者と祭司との対立関係です。

ここに概観した限り、この対立関係は、どんな詭弁によっても、これを調和的に解釈することは出来ません。

ここで「目的的解釈者」が次にみるべき点は、バビロン虜囚と、それ以後に属するものとされている諸書において、この両書の相互関係がどんなものであるかをみることです。

バビロン虜囚と、それ以後に属するものとされている書物では、結論的にいうと、預言者と祭司との関係は、外形的には非常に近接し、その色彩が原色的な明白さをもたず、非常に混色的になっています。

預言者の「赤」と祭司の「青」とは、「紫」をなしているのです。

しかしそれはよくみると、その紫そのものにも、一方は非常に赤が勝ち、他方は非常に青が勝っています。

こういうと虜囚前における対立関係が、非常に和らげられたかのような感を与えますが、実はその反対です。

およそ人間相互間、ことにその思想間の対立は、相互関係が遠ければ遠いほど、弱くなり淡くなります。

しかしそれが近くなればなるほど、その対立は強くなり鋭くなるのです。

この時代に属するものとされている書物における、この預言者と祭司との関係もこれと同じです。

この時代に属する書物として、預言者的なものと祭司的なものとの混色を示している最大の書物はエゼキエル書です。

エゼキエル書が、両者の混色したものであることは、その主人公・エゼキエルが、一方に祭司家の出であって、彼自身「祭司ブシの子」と呼ばれ、他方にその彼の上に「ヤーウェの手」があったということによって、如実に示されています。

選民の罪を責め、その滅亡を警告し、これに対して悔い改めを求めた点においては(エゼキエル18章、33章)、まったく預言者の態度ですが、そのイスラエル回復として、彼が描いた具体的な姿は、まったく祭司的のそれであることをみれば、ーー「神殿の全回復」であり、ことにその「犠牲をささげる規定」を述べていることなどをみれば(エゼキエル40章以下、ことに45:17以下)、その預言が両思想の混色からなっていたことがわかります。

このエゼキエルを始めとして虜囚後に属する「祭司的書物」と「預言的書物」には、明らかに両思想の混合がみえます。

預言者ハガイ書では、

「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。
そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう。
主は仰せられる。」(ハガイ1:8)

といわれ、
預言者ゼカリヤ書では、

「ゼルバベルの手が、この宮の礎を据えた。
彼の手が、それを完成する。
このとき、あなたは、万軍の主が私をあなたがたに遣わされたことを知ろう。」(ゼカリヤ4:9)

といわれ、
預言者マラキ書をみると、

「あなたがたは、盲目の獣をいけにえにささげるが、それは悪いことではないか。
足のなえたものや病気のものをささげるのは、悪いことではないか。
さあ、あなたの総督のところにそれを差し出してみよ。
彼はあなたをよみし、あなたを受け入れるだろうか。
ーー万軍の主は仰せられるーー」(マラキ1:8)

としるされています。

これらはすべてこの時代の預言書が祭司的思想を混合していることをよく示しています。

同様に祭司的歴史書である歴代志略をみると、そこには反対にイザヤ書にしるされているイザヤの有名な預言が(イザヤ7:9)、その祭司的活動の重要な信仰的基礎となっていることが示され、

「こうして、彼らは翌朝早く、テコアの荒野へ出陣した。
出陣のとき、ヨシャパテは立ち上がって言った。
『ユダおよびエルサレムの住民よ。
私の言うことを聞きなさい。
あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。
その預言者を信じ、勝利を得なさい。』」(Ⅱ歴代志略20:20)

としるされています。

「預言者を信じ」と、明らかに祭司的書物(歴代志略)に対するイザヤ書の影響が現われています。

上記の両者の関係は、「預言者的類型」と「祭司的類型」との混合が、外形的にはいかにも矛盾対立なく行なわれているような感を与えますが、実際はそれと正反対で、その対立はより鋭く現われています。

◉第一に「祭司的書物」をみると、そこには種々の形においてこの反預言者的態度が現われています。

◾️その一は単純な反預言者的の感情の表現です。

「祭司的書物」であるネヘミヤ記をみると、ネヘミヤの石垣修築の進行中種々の妨げが現われたましたが、その中でもサマリヤ系のサンバラテのそれが大いなるものでした。

サンバラテは、ネヘミヤを妨げるために種々の方法を用いたとしるされていますが、この方法の中に、ユダヤ人中の「預言者の買収」が行なわれたとしるしています。

「私にはわかっている。
今、彼を遣わしたのは、神ではない。
彼がこの預言を私に伝えたのは、トビヤとサヌバラテが彼を買収したからである。
彼が買収されたのは、私が恐れ、言われるとおりにして、私が罪を犯すようにするためであり、彼らの悪口の種とし、私をそしるためであった。
わが神よ。
トビヤやサヌバラテのあのしわざと、また、私を恐れさせようとした女預言者ノアデヤや、その他の預言者たちのしわざを忘れないでください。」(ネヘミヤ6:12ー14)

とは、ネヘミヤの預言者たちに対する反感の表明です。

ここに祭司的なネヘミヤの強烈な反預言者的感情の現わされていることを見ることができます。        

◾️反預言者的態度のその二は、預言者をまったく祭司的立場に立って預言したものとし、これを祭司的立場の似影としていることに現われています。

ユダ王アサの時代にエチオピアの軍勢百万と戦車三百とが、ユダに来襲しました。

神の恵みによってアサはこれをまったく打ち破ることができたましが、このとき凱旋したアサ王に対して預言者オデデの子アザリヤが一大警告を与えたのです。

アザリヤは、

「あなたがたが主とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自身を示してくださいます。
もし、あなたがたがこの方を捨て去るなら、この方はあなたがたを捨ててしまわれます。」

と警告の言葉を語り、
さらに、

「長年の間、イスラエルにはまことの神なく、教師となる祭司もなく、律法もありませんでした。」(Ⅱ歴代志略15:1ー3)

と「神共にいます」ための条件として、祭司的のそれを力説しました。

その結果アサ王は宗教改革を行ない、「ヤーウェの壇を再興」したとしるされています(Ⅱ歴代志略15:8)。

また分裂当時のユダの王レハベアムは、その勢いが強大となったとき、「ヤーウエの律法をすてた」といわれ、その結果「イスラエル皆これにならう」としるされています。

このときエジプト王シシャクがユダに襲来しました。

この危機に当たって預言者シマヤが、王と諸侯の前に行って、
あなたがたがわたしを捨て去ったので、わたしもまたあなたがたを捨ててシシャクの手に渡した。」といったのです。

この結果、王と民とは神の前に自らを卑くして、その態度をまったく改めたために、いくぶんの救いを得ることができました(Ⅱ歴代志略12:-7)。

ここに「ユダが神を捨てた」といわれているのは、祭司的律法の書としての「ヤーウェの律法」を捨てたことを意味するのです。

ここでは前の預言者オデデもこの預言者シマヤも、ともにまったく祭司的立場の傀儡であり、その代弁者とされています。

◾️反預言者的態度のその三は、預言的なものの中心を捕えて、それがけっして預言者の占有的特徴ではなく、祭司もそれが出来るものとして、預言書の特徴を無力にし、これを祭司側に奪取することで、きわめて巧みに現わされています。

ユダの王ヨアシは、祭司エホヤダの支援によって王位に就き、神殿の衰えを「元の姿に復し」ました。

しかしエホヤダが死ぬと、ユダは全体として偶像を礼拝するようになったのです。

このとき、この祭司エホヤダの子ゼカリヤに、神の霊が臨み、

「神の霊が祭司エホヤダの子ゼカリヤを捕らえたので、彼は民よりも高い所に立って、彼らにこう言った。
神はこう仰せられる。
『あなたがたは、なぜ、主の命令を犯して、繁栄を取り逃がすのか。』
あなたがたが主を捨てたので、主もあなたがたを捨てられた。」(Ⅱ歴代志略24:17ー20)

と言いました。

このため祭司ゼカリヤは王と民衆とによって「神殿の庭において」打ち殺されたのです。

またユダのヨシャパテ王の時、その近傍のモアブ、アンモン、マオユなど三民族の連合軍が、ユダに攻め、ヨシャパテはこれをどうすることができなかったのです。

ヨシャパテ王はヤーウエの前に立ち、

「私たちの神よ。
あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。
私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。
私たちとしては、どうすればよいかわかりません。
ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」(Ⅱ歴代志略20:12)

と祈った。

そのとき、

「ときに、主の霊が集団の中で、アサフ族の出のレビ人ヤハジエルの上に臨んだ。
彼はマタヌヤの子エイエルの子ベナヤの子ゼカリヤの子である。」(Ⅱ歴代志略20:14、24)

としるされていますが、これによってユダに大勝利が与えられ、敵軍は全滅してしまったのです。

以上の二つの記録はいうまでもなく、「神の霊」が臨むのは、けっして預言者の上だけではなく、祭司またはレビ人の上にも臨むものであることを示し、
「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。」(アモス3:7)
という預言者アモスの言葉を、骨抜きにしてしまったのです。

◾️次にこの時代に属する預言書をみると、そこには祭司的なものを預言的に再解釈することで、換骨奪胎して、祭司的形式をまったく無力にしていることがみられます。

イザヤ書中の虜囚時代を述べている部分に、このことがみられます。

そこには「断食」に関する祭司的解釈に対して、

「彼ら(祭司)は言う、
『われわれが断食したのに、 なぜ、ごらんにならないのか。
われわれがおのれを苦しめたのに、 なぜ、ごぞんじないのか』と。
見よ、あなたがたの断食の日には、 おのが楽しみを求め、 その働き人をことごとくしえたげる。
見よ、あなたがたの断食するのは、 ただ争いと、いさかいのため、 また悪のこぶしをもって人を打つためだ。
きょう、あなたがたのなす断食は、 その声を上に聞えさせるものではない。
このようなものは、わたしの選ぶ断食であろうか。
人がおのれを苦しめる日であろうか。
そのこうべを葦のように伏せ、 荒布と灰とをその下に敷くことであろうか。
あなたは、これを断食ととなえ、 主に受けいれられる日と、となえるであろうか。」(イザヤ書 58:3-5)

といって、これをまったく否定し、さらに進んで、

「わたしの好む断食は、これではないか。
悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。」(イザヤ58:6)

と、その預言的再解釈を力説しています。

同様に「安息日」についても、その預言的再解釈をのべています(イザヤ58:13-14)

祭司的なものの最大なものは、「律法」ことに「石に書かれた律法」です。

預言書では、すでにエレミヤ書で、この律法にはイスラエルを従わせる力のないことを断じ、そこに「新しい契約を立てる日」における「心の上に記される律法」として再解釈されました(エレミヤ31:31以下)。

この再解釈が真にイスラエル回復との連関で、その位置が与えられたのが、エゼキエル書においてです。

「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。」(エゼキエル36:26ー27、参考11:19ー20)

とは、エゼキエル書におけるイスラエル大回復の絶対的条件としていわれた言葉でした。

ここにおいて最大の祭司的なものは、完全に換骨奪胎され、預言書の精神的象徴とされてしまったのです。

この祭司と預言者との対立の事実は、「典祇的預言者」の存在によって、けっして否定されるものではありません。

そのようなものがこれら両者の間に若干存在したことは明らかでしょうが、そのことがただちに上記の両者の対立関係を否定させるものではないのです。

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信仰雑話>38-23「どうしたら正しく理解することができるか?」94、次は38-24「どうしたら正しく理解することができるか?」95
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