35-23「どうしたら正しく理解することができるか?」49

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(マルティン・ハイデッガー(1889-1976年)によって、
「現象学的解釈はーー存在者の存在の構造の規定である」という定義が、「文献解釈」に応用されるとき、
◉「その著者からまったく離れ客観的存在者」となって独立した文献の「それ自身をそのもの自身において示すところのもの」の「解釈」が、目標となることを教えられました。
「同一文献」を対象とし、「同一文献」の上に立ちながら、その「文献」の背後に立つ、
◉「著者」の方向への解釈と、
◉「文献」そのものの「存在」の方向への解釈と、まったく相反する二つの方向への解釈が、成立することとなったのです。
これが人類誕生以来、求め続けてきてようやくたどり着いた現代の「文献解釈学」です。
◉それに基づいて、聖書をみます。)

(49)エズラ記

◉「エズラ記」―「神殿再建と選民的浄化」

バビロン捕囚(最初の捕囚は紀元前597年に、その後、紀元前587年または586年、紀元前582年または581年、最後の捕囚は紀元前578年)という出来事は、
◉選民イスラエルの最大の破局でした。

選民は国家という枠を喪失し、その結果は精神的頽落と懐疑思想に陥り、やがてそれはエズラ記に指摘されているように、異邦人との雑婚という具体的頽落として現わされました。

異邦人との雑婚は
◉選民としての自覚の完全な喪失の象徴です。

したがって、選民生活の聖別と神殿再建を不可分的事柄として提示するところにエズラ記の特色がみられます。

◉「ネヘミヤ記」―「律法に由る自己反省と石垣修築」

ネヘミヤ記は、律法の民として召された民の、モーセ五書の律法を規準としてなされた
宗教改革ーー雑婚を解消させ、その系図を正し、律法の命ずる節会(せちえ)を守り・殊に安息日を厳守するというーーを記し、選民をしてその頽落の極限から起ち上らせた「神の言のもつ威力」を指し示しています。

しかしこの宗教改革は、単に選民とその選び主との間の事柄として止まらず、それは
◉対異邦的に、神の言のもつ威力を宣言する事柄でした。

それを示しているのはネヘミヤ記の次の言です。

「こうして城壁は五十二日を経て、エルルの月の二十五日に完成した。
われわれの敵が皆これを聞いた時、われわれの周囲の異邦人はみな恐れ、大いに面目を失った。
彼らはこの工事が、われわれの神の助けによって成就したことを悟ったからである」(ネヘミヤ6:15-16)

とはその言です。

以上が、「総督であるネヘミヤと、祭司であり、学者であるエズラ」によって成就された宗教改革の輪郭的意義です。

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