第三章 第八節 ハガイ書、ゼカリヤ書・マラキ書概説8

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ゼカリヤ書4

第三 歴史的記録  六章九節—十五節

⁋此處には前述の八つの異象によって示された最後の時代が、極めて近い事を感じたエルサレムの人々によって、メシヤ戴冠の準備の行われたことが示されている。ゼカリヤは神の言によって、バビロンよりの最近の帰還者三人を訪ね、彼らの手から金銀を受け取って「冠」(かんむり)を作り、 之を

「ヨザダクの子なる祭司の長ヨシュアの首に冠らせ」

るようにした。是が明かにメシヤの冕冠(べんかん)であることは、この部分の前後関係と、次の「枝」という語によって明かである(十二節)。この語はイザヤ以来(十一章一節) エレミヤを経て (二十三章五節、二十三章十五節)、メシヤの象徴とせられた語で、「株」から「枝」と進んできたものである。而して此のゼカリヤの時代には、メシヤに対する陰語となっていたらしく、ゼカリヤは他にも一度之を用いている(三章八節)。
⁋然るに此の冠冕(かんべん)が、「祭司の長ヨシュアの首に冠らせ」られるという事に問題がある。第十三節を見ると、「政治を施す」者と「祭司」とが述べられ、「此の二つのもの」と云われている。此の事実からみると、此の部分にはゼルバベルとヨシュアとが述べられていたものに違いない、して見ればハガイがゼルバベルをメシヤとしているように、ゼカリヤも同様に考えたものと想われるから、この「冠冕を造り……ヨシユアの首に」は、「ヨザダクの子方伯ゼルバベルの首に」とあったのだろうとおもわれる(拙著「旧約書の歴史文学」三二七頁以下参照)。
この第二神殿完成に際して起されたメシヤ運動は、直ちにペルシヤ官權によって圧迫されたらしい。而して之以後ゼルバベルの名が全く消え失せた事から見れば、彼は同胞にメシヤとされた為に、 處刑されたか又は何れかに幽閉せられてしまったものであろう。

第四 祭司的質疑 七章

⁋この預言は「ダリヨス王の四年の九月」、その四日に与えられたものである。それは恰度ベテルから使者がきて、祭司と預言者に今まで長く守りつづけてきたように、今も「尙ほ五月をもて哭きかつものいみすべきや」と質問したので、之に対する答としてゼカリヤに与えられた預言の言である。 この「五月」とはエルサレムの神殿と宮殿とが焼き揚われた時の記念とせられたものである(列王 紀下二十五章八節、エレミヤ五十二章十二節)。 是に対して預言者は、五月の斷食のみならず・七月のそれに際しても――聖都陥落後知事に任命されたゲダリヤの殺された時の記念(列王紀下二十五章二十五節、 エレミヤ四十一章二節)―ー人々は真に神に向って斷食したのであろうかと問い、それはむしろ自己の為にしたのではないかと詰問している。而して更に彼は古えの預言者の教に立脚して(八節以下)、 正義公道を守り・弱者を憐むべき事を命じてこの預言を終っている。

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