第三章 第七節 ナホム書・ハバクク書・ゼパニア書概説8

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ゼパニヤ書

第三エホバの日の審判

⁋此の部分には(三章一一七節)、エホバの公義と対照して、ユダの民衆と指導者との牧伯と預言者らとの背信と罪悪とが数えあげられている。「此のしへたけを行ふり悖(もと)りかつ汚れたる邑は禍ひなるかな、是は声を聴きいれず、教誨(をしへ)をうけず、エホバにより頼まず、おのれの神に近よらず」とは、エルサレムに対する審判の言である。「その中におる牧伯(つかさ)等は吼ゆる獅子のごとくその審士は明旦(あした)までに何をも遺さざる夜あさりする狼のごとし」とは、その国に主位を占めている政治的指導者に対する審判の言である。「その預言者は傲りかついつはる人なり、その祭司は聖き物を汚し、律法を破ることをなせり」とは、更にその中心に立っている宗教的指導者に対する審判の言である。之に対して預言者は、「その中にいますエホバは義しくして不義を行ひたまはず・朝な朝な己の公義を顯はして欠くることなし、然るに不義なる者は恥を知らず」と、神の正義の明かに知らるべきことを力説し、然も民衆も指導者も預言者も之を軽視していると、審判の言を語っている。但し此處で注意すべきは、「その中にいますエホバ」と云う句である。預言者は審判の言を語りながら。然もイスラエルの神は未だその民を棄て給わず、その中心に在し給うことを、彼は確信しているのである。

第四エホバの日の祝福

⁋此の部分に於ては(三章八ー二十節)、エホバの日の両面が語られている。即ち一方に於ては

「我もろもろの民を集へ、諸の国をあつめてわがいきどほりとわが烈しきいかりを盡(ことごと)くその上にそそがん と思ひ定む」

と全世界に及ぼされる刑罰が述べられると共に、他方に於ては

「その時われ国々の民に清き唇をあたへ、彼らをして凡てエホバの名を呼ばしめ、心をあはせて之につかへしめん」

と、万民の浄化が語られている(八ー九節)。是こそイザヤ・ミカ両書に語られている万民帰服の状態である(イザヤ二章一ー四節、ミカ書四章一ー四節)。此の万民帰服の時代に於ては、その中心に「イスラエルの遺れる者」が置かれ、シオンの女は喜の声をあげ、イスラエルの浮囚は帰還せしめられ」、「イスラエルの王エホバ汝の中に在す」と宣言せられている(十五節)。斯くしてイスラエルに対する工ホバの約束は、またその選民イスラエルの完き聖別は、此のエホバの日を経て初めて成就させられるのである(二十節)。

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