第三章 第三節 エゼキエル書概説  11

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⁋然し神は一と度エゼキエルを預言者として召し、殊に回復の預言者として召し給うたからには、何うしても彼をそれとして立たしめ給わなければならなかった。彼はエゼキエルに、此の「回復の実感」をもたしむべき方法を探り給うた。是が「枯れたる骨の谷の異象」であった(三十七章一ー十四節)。「枯れたる骨の谷」とは、実に絶望すべき状態に在ったイスラエルの民衆の現実の姿であった。それ は宗教的心霊的に見れば、肉もなく血もなく、真に「枯れたる骨」の如き状態であった。エゼキエルは此の谷に置かれたが、そこを歩いている元気はなかった。彼に臨んだ霊は、

「その周囲に我をひきめぐりたまふ」

たと彼は云っている。而して更に

「人の子。是等の骨は生くるや」

と問い給うた。 然し彼は之に答えることが出来ず、

「主エホバよ汝知りたまふ」

と答え得ただけであった。茲に彼の確信と実感の缺如とが如実に現われている。神は更に彼に向って

「是等の骨に預言し、之に云ふベし枯れたる骨よエホバの言を聞け、主エホバ是らの骨に云ひ給ふ・観よ我汝等の中に氣息を入らしめて汝等を生かしめん」

と語ることを命じ給うた。彼は無理に此の預言を語らしめられた。その時おどろくべきことが起った。共處に

「音あり骨うごきて骨と骨あひ連なる」

と云う不思議が起り、

「遂に氣息これに入りて皆生き、その足に立ち、甚だ多くの群像と」

なった。此の不思議は実にエゼ キエルを確信に於て起たしめ、回復の預言者たらしめた。斯くして彼は預言者としての「理論的側面」と「具体的側面」とを、彼を遣わし給いし神に由て具備せしめられた。此の何れを欠いても、 彼は預言者たり得なかったことに、本書の研究者の眼が向けられなければならない。

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