第三章 第一節 イザヤ書概説 5

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第一 審判の預言1

⁋此の部分に於ては(一章ー三十五章)、その預言の対象は、三つの部分からなる一つの循環を示している。即ち最初がユダとエルサレム、次が諸国民と世界、終が選民と世界となっている。
⁋(1)「ユダとエルサレム」に関わる預言に於ては(一ー十二章)、最初に「ユダ」全国に対する、 「天よきけ地よ耳をかたぶけよ」と云う歌い出しの壯嚴にして、恩寵に充ちた預言を以て始められ、之を此の部分の序言として(一章)、次に具体的に「アモツの子イザヤが示されたるユダとエルサレムとにかかる言」が(二章一節)、イザヤ自身の召命の記録を終として述べられ、次いで「ウジヤの子ヨタムその子ユダの王アハズのとき」と(七章一節)、それより此の部分の終に至る迄の預言の時代が明記せられている。此の部分の内容は、全ユダの背信に対する譴責(一章)、末の日のメシヤの国の叙述(二章一ー四節)、ユダの現状に対する審判の言(二章五ー二十二節)、エルサレムとユダの指導者と上層婦人に対する譴責 (三章一ー五章三十節)、イザヤの召命 (六章)、イムマヌエルの預言(七ー八 章)、メシヤの国と平和の君(九章一ー七節)、北王国に対する審判 (九章八ー十章四節)、神の鞭アッスリヤ(十章五ー三十二節)、メシヤの国 (十章三十三ー十一章九節)、イスラエルの回復とその救の感謝(十一章十ー十二章六節)等からなっている。本書に於ける此の最初の小区分は全体的にその頭書の如く、 ユダとエルサレムの罪を責め、その背信的態度を暴露し、その上に必ず神の審判の来るべきことを語っている。殊に此の部分中の「禍なるかな」を語り出しとしている審判の言は(五章八、十一、十八、 二十、二十一、二十二節)、 特徴的の部分とせられている。新約書のマタイ伝の著者がイエスの聖言として語っている「禍害なるかな」を語り出しとしている部分は(二十三章十三、十六、二十三、二十五、二十七、甘九節)、此のイザヤ書の部分にその原型を見るものであろうと謂われている。或る者は此の小部分を (七章ー十二章)「イムマヌエルの書」と呼んでいる。それは此の部分の中央が「イムマヌエル」より 成り(七章十七節、八章八節)、之との聨関に於て語られているからである。
⁋(2) 「諸国民と全世界」に関わる預言に於ては(十三章ー二十七章)、その名の如く、諸国民即ちバビロン(十三章一–十四章二十三節)、アッスリヤ(十四章二十四―二十七節)、ペリシテ(十四章二十八ー三十二節)、 モアブ(十五ー十六章)、ダマスコ(十七章一ー十一節)、諸民族の動揺(十七章十二ー十四節)、エチオピヤ(十八章)、埃及(十九―二十章)、バビロン(二十一章一ー十節)、エドム(二十一章十一一十二節)、エルサレム (二十二章)、ツロ (二十三章)、終末期の全世界 (二十四ー二十七章)等に関する預言である。これらの預言に於ては、一方には預言者イザヤの時代に見られた諸国民の政治的状態が示されていると共に世界の終末に於ける特殊民族の状況と運命とが語られていて、その預言の見地と目的とは必ずしも一樣でない。

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